■ 本会議だけでは終わらなかった問責決議の扱い
問責決議は本会議で採決され、議会としての結論は出されました。通常であれば、ここで一連の出来事は一区切りとなるはずでした。
しかし、この出来事はそれで終わりませんでした。むしろ、問責決議として一度結論が出されたはずの問題が、その後の議会報での扱いという形で、別の局面へと続いていくことになります。
この頃、議会の状況は大きく変わりつつありました。これまで議会の中心で強い影響力を持っていた議員たちが、次々と議会を去る方向になっていたのです。
任期満了により退任することとなった松木議長、そしてこの一連の騒動の引き金となった主導者とも言えるベテラン議員が20期で議員を退任し、青山副議長も県議会議員選挙への出馬のため辞職しました。
さらに、事務局長(男性)も含め、被申立人とされた対象者の全員が、来期は議会に在籍しないことが明らかになりました。
そんな中で、選挙前の慌ただしい時期でもあり、多くの議員がそれぞれの活動に追われ、議会内で起きている個別の出来事にまで十分に目を向ける余裕がない状態でした。議会全体としても、細かな経緯や問題点を丁寧に議論する空気が生まれにくい状況にありました。
そのため、本来であれば立ち止まって検証されるべき出来事であっても、十分に共有や検討がなされないまま、流れていってしまう土壌があったのではないかと思います。
私自身もまた、その渦中にありながら、目の前の対応に追われていた一人でした。そんなどさくさ紛れの中でのことです。被申立人たちによるある動きがありました。
■ 市議会だより124号の編集
通常、「市議会だより」は議会報編集委員会で議論を重ねながら内容を決定します。しかし、この時は事情が異なっていました。
令和5年3月22日の編集委員会では、次回4月20日の委員会を選挙期間中であることを理由に書面開催とし、各委員の意見については最終的に議長へ一任する形が取られたのです。
議会事務局から各委員へ意見提出の案内がありました。
議会報編集委員長は、退任する議員でした。つまり、最終的な紙面構成は委員会で再度議論されることなく、委員長と正副議長で決定したということです。その経緯を見ていると、退任する最後の段階に至るまで、特定の人たちの思惑によって、進められていたのではないかと感じざるを得ませんでした。
■ 追加された問責決議のページ
その後発行された👉️あしや市議会だより第124号には、私に対する問責決議が掲載されていました。しかも、問責決議を強調する形のページが追加されていたのです。
さらにそのページは、他の記事よりも文字サイズが大きく、目立つ構成となっていました。これまで私が見てきた議会だよりの中で、問責決議がこのように強調されて掲載されるのは、異例の対応です。
また、反対意見も多数ありましたが、それは文字の関係上、載せれなかったという理由らしいです。
■ 意見はあったのに、反映されなかった編集の実態
この件について、疑問を持ち、意見を返していたのは、編集委員の一人だった川島あゆみ議員だけでした。
川島議員は、通常とは異なる形で特別ページを追加するのであれば、本来、編集委員会において十分な議論と合意形成が必要ではないかと指摘していました。また、フォントサイズの大きさ、掲載内容が一方的に見える可能性についても懸念を示し、反対意見を掲載しないのであれば、タイトルのみを紙面に掲載し、全文はQRコードで補完する方法なども提案していました。
実際に、議事調査課の担当者に送られていたメールには、次のような記述があります。
※議会事務局へのメール(抜粋)
「たかおかさんの決議文についてですが、ご本人が『意図的に削除編集』していないと言っているのに全文掲載するのですよね。そのときの議論や反対意見も含めて掲載できるのであればいいと思うのですが、ちょっと一方的だなという印象です。」
しかし、これらの意見が編集委員全体で共有された形跡はなく、紙面構成が見直されることもありませんでした。
この掲載方法については後日、私の方からも、正式な抗議文を提出していました。👉️『0428たかおか知子議員に関する問責決議の市議会だより掲載内容についての申入書』
掲載のあり方や、その内容の見せ方について疑問を示しています。もちろん、議運でも何の取り上げもありませんでした。
当時は選挙前という事情もあり、この問題に強い関心を持つ議員は多くなかったように思います。結果として、この問題は議会の中で十分に共有されていたとは言い難い状況のまま、今期の任期を終えることとなりました。










