討論は、なぜ最初に「賛成」と言わなければならないのか
令和8年第1回定例会、3月2日の本会議での出来事です。「第2号議案 市長の退職手当の特例に関する条例の制定について」この議案について、私は討論を行いました。
その際、私は冒頭で「賛成」「反対」という立場を先に示さず、まず自分がどのように考え、何を重く見て、どのような理由から判断に至ったのかを述べ、最後に「賛成」という結論を示しました。
すると、私の討論が終わった直後、議長から議員の皆さんに向けて、
「討論に当たっては、冒頭に賛成か反対かを明確にしてからお願いいたします。」
との発言がありました。私の討論の直後の発言でしたので、私の討論の仕方についての「お願い」だったと受け止めています。
ただ、ここで私が少し引っかかったのは、『討論では、冒頭に必ず賛成か反対かを明らかにしなければならない、という決まりがあるわけではない』ということです。
議会の“お作法”と正式なルールは別のもの
議会には、長年積み重ねられてきた“お作法”があります。多くの議員は、討論の冒頭で、
「○○議案について、賛成の立場で討論いたします」
あるいは、
「反対の立場で討論いたします」
と述べます。これは議会ではよく見られる形ですし、長年の慣例として定着しているのだと思います。この慣例自体を否定するつもりはありません。
議会は最終的に、賛成か反対かで意思決定をする場です。最初に立場を示しておけば、議長にとっては議事を整理しやすく、事務局にとっても討論の位置づけを把握しやすい。そこには、議事を円滑に進めるための一定の合理性があります。そのことは、私も理解しています。
ただし、
「これまで多くの議員がそうしてきた」という慣例と、「必ずそうしなければならない」という正式なルールは、同じではありません。
ここは、分けて考える必要があるのではないでしょうか。
「それは“本質”なのか」私は、今回の出来事をきっかけに、改めて考えました。
討論の冒頭で賛否を示した方が、議会運営上は整理しやすい。それは理解できます。しかし、それはあくまで運営上の合理性の話です。
では、討論そのものの本質は何なのでしょうか。最初に賛否を明らかにすることなのでしょうか。それとも、なぜ、その結論に至ったのかを言葉にして伝えることなのでしょうか。
私は後者だと思っています。討論は、決まった結論を読み上げるだけの儀式ではありません。
- なぜそう考えたのか
- 何を重く見たのか
- どこに疑問を感じたのか
- どこで迷ったのか
- 何を評価し、何を課題だと考えたのか
その思考の過程を、議会や市民に示すための時間でもあるはずです。
私が最後に結論を述べた理由
今回、私はあえて最後に賛否を述べました。理由は単純です。最初に「賛成」と言ってしまうと、聞いている側に先入観が入るように感じたからです。
「ああ、この人は賛成なんだな」
そう思った瞬間、その後に続く理由や考え方が、すでに決まった結論を補足するための説明として聞こえてしまうことがあります。
でも、私は理由こそが討論の本体だと思っています。
- なぜ、その結論に至ったのか
- どこに葛藤があったのか
- どの点を評価し、どの点には懸念を持ったのか
その一つひとつを聞いてもらったうえで、「この議員は、最終的にどう判断するのだろう」
と最後まで考えながら聞いてもらう。そして最後に結論が示される。私は、そこにも討論の意味があると思っています。
最後に結論が示される、あの一瞬の緊張感。聞く側の思考が最後まで止まらない。
その空気もまた、議会をより深く考える場にするのではないでしょうか。討論は、単に採決結果を先に知らせるためのものではありません。たとえ最終的に賛成する議案であっても、その内容をすべて無条件で評価しているとは限りません。反対する議案であっても、その中のすべてを否定しているとは限りません。
議案を読み、資料を確認し、行政から説明を受け、市民の声を聞き、自分なりに考える。その中には、迷いや葛藤もあります。むしろ、そうした過程の中にこそ、議員として伝えるべき意見や視点が含まれているのではないでしょうか。
議員は、単に「賛成」「反対」の動作をするためだけに議場にいるわけではありません。なぜその判断をしたのかを、自分の言葉で説明することも議員の役割の一つです。だから私は、討論の場を、議事整理を円滑に進めるためだけの時間だとは考えていません。
議会には、さまざまな慣例があります。長年続いているものには、それぞれ理由があるのでしょう。私は、それらを否定したいわけではありません。
ただ、「これまでそうしてきたから」という慣例が、いつの間にか「そうしなければならない」というルールのように扱われることには、少し慎重であるべきだと思っています。
たしかに、慣例には慣例としての価値があります。一方で、正式なルールには、正式なルールとして明確さが必要です。この二つが曖昧なままでは、言論の場に必要以上の制約が生まれる可能性もあります。
正式なルールなら従います。もちろん、議会には秩序が必要です。もし今後、議員便覧などに、「討論では、冒頭に賛成か反対かを明らかにする」と正式なルールとして定められるのであれば、私はそのルールには従います。ルールを無視して、好き勝手に話せばいいと言いたいわけではありません。
ただ、現時点でそれが正式な決まりではなく、慣例や“お作法”なのであれば、「討論という言論の場には、伝え方について一定の自由があってもよいのではないか」と私は思っています。
形式は大切です。けれど、形式は本来、議会という場の本質を支えるためにあるものです。形式そのものが目的になってしまえば、討論が持つ力は少しずつ弱くなってしまうのではないでしょうか。
■ 議会中継録画と議事録(芦屋市ホームページ)










