■ 選挙後の議会での穏やかな空気
選挙が終わり、私は二期目の議員として新たな任期を迎えることになりました。議会の状況も、以前とは少し変わっていました。
これまで議会の中心で強い影響力を持っていた議員が議会を去ったこともあり、議会の空気は以前より穏やかになったように感じられました。
私自身も、委員会の委員長や会派の幹事長として調整役を担うようになり、議会の中での立場も少しずつ変わっていきました。
議会内の関係も以前より落ち着き、調整を重ねながら物事を進めていく場面が増えていきました。そうした中で、これまで議会に対して感じていた不満も、次第に薄れていったように思います。
しかし、それでも……。
あの出来事だけは、終わったとは思えませんでした。
相手側の当事者がいなくなったとはいえ、それによって問題そのものが解消されたわけではありませんでした。どこかに置き去りにされたものがあるように感じていたからです。
■ 消えなかった違和感とは
私の中でどうしても引っかかり続けていたのは、ハラスメント調査報告書の結末でした。
ハラスメントだと感じて声を上げた側が、結果として批難の対象となる。その構図がほとんど知られることもなく、そのまま終わってしまっていいのかということです。この疑問は、時間が経っても消えることはありませんでした。
当初は、この出来事をまとめてブログに記録として残しておこうと考えていました。しかし、その思いと並行して日々の議会活動に追われる中で、その気持ちは少しずつ薄れていきました。
「もう過ぎたことなのかもしれない」そう思うこともありました。
人が変われば組織の空気も変わるものです。これからは議会も変わることができる、少しずつ良くなっていくと、そう思いたい気持ちもありました。
ただ、その一方で、別の感覚もありました。このまま自分自身が議会の慣習に順応していくことで、「おかしい」という感覚まで消してしまうのではないか、という信念です。
議会という組織の中では、強く問題を指摘するよりも、波風を立てずに従っていた方が物事が円滑に進むこともあります。いわゆる「YESマン」でいる方が、そこでは居場所がつくりやすい。同調圧力に委ねる方が楽だという空気も感じていました。
そうした構造があることは、以前から理解していたつもりでした。
■ もう一度、第三者の意見を求める
どうしても納得できないまま残っているものが、何なのかはわかっていました。それは、問責決議を受けたこと自体ではありません。芦屋市議会が決定する問責決議については、もうずっと前から、公平性や信憑性に疑問を感じていたからです。
ハラスメント防止を求めて声を上げた側が、結果として批判を受け、告発された側が権力的な立場を背景に優位に立つ。そうした構図が見せしめのような形で前例として残ってしまうことを、このままにしておきたくなかったのです。
二期目の議員として活動を続ける中で、時間は少しずつ過ぎていきました。そして、約一年が経った頃。私の中で、その思いが、再び強くなっていきました。議会の空気は変わっても、構造そのものは変わっていないのではないか。そう感じる場面は、やはり残っていたからです。
私は、調査報告書を代理人とは別の弁護士にも意見を聞いていました。この出来事を客観的に見たときにどう評価されるのか。手続きとして問題はなかったのか。そして、この一連の出来事をどう考えればいいのか。その答えを、外の視点から確認したいと思ったからです。
「そして、この報告書を見てもらった際に「ここについては、看過できない誤りではないか」と受けた助言を踏まえ、その評価に基づき、議会に対して対応を求めることにしました。
こうした経緯があったため、私の中で引っかかっていたものが、消えずに残り続けていたのだと思います。










