■ 政治家だけが許されているのはおかしい
行政や議員に不祥事があれば、マスコミが報道し広く知れ渡ります。そして、それを知った人々が「そんな人が議員をしていることは許さない!」という風向きになっていきます。
でも、おかしいですね。過去にそういう不祥事の事実が明るみになり議員辞職をされた方でも、しばらくすると、また同じポストに返り咲いていることがあります。
今(6/17)、尼崎市議会では維新会派の議員の不祥事が全国的に大きく取り上げられ問題となっています。次の尼崎市長選へ意欲を示されていた議員の方のようですが、現時点では辞職はされていません。すぐさま離党という対処を取られました。
しかし、逆に兵庫維新から除名を言い渡され、二度と維新には戻れないということになりました。
そのちょっと前には、国会でも18歳との飲酒報道でわいせつ行為が発覚し、その自民党議員から離党届が出されています。この時点(6/10)では辞職はされていません。
■ なぜ離党が先で説明が後なのか
どちらも刑事告訴をされてもおかしくない問題であり、常識的に見て議員を続けていけないような不祥事です。しかし、なぜいつも率先して政党・党派を離党してから詫びるという処置がとられているのでしょうか。
謝罪等の説明責任も果たされていない段階で、離党して示すという流れが多いように思います。本来ならば、説明がきちんとなされての謝罪等があった後に、辞職を行うという流れが先にあっても不思議ではありません。
自治体で起きた議員の不祥事で印象的だったのは、国会議員による大規模買収事件で、現金受領に関わっていた広島県の安芸高田市の議員(議長)のことでした。謝罪会見の後に辞職していたはずの議員が、その後すぐの選挙で再出馬をし当選を果たしていたからです。
しかも、同じポストの議長になっていたのには驚きです。罪も時間が経てば薄れる話で、刑事的に裁かれるようなことをしていても、政治家の場合は選挙で当選すれば再復帰してもよい職業ということになるのですね。
■ 政治の常識は世間の非常識だという
汚職やわいせつ行為(セクハラ)等は、社会的にも議員でなくてもやってはいけないことです。そのようなことで辞職をしたという過去があっても、また選挙で通れば支持を得ている立派な議員と認められ、「許された」とリセットされたと捉えればいいのでしょうか。
これまで責められるような罪も犯したこともなく、真面目に立候補していた人もいたと思いますが、その人達を差し置いての当選です。当選したということは、その議員に期待感を持っている有権者から「このぐらいの不祥事なら許すよ。」というお墨付きを頂いたということで、再復帰できたと捉えればいいのでしょうか。
以前と変わらない社会的ポストで、その地位を確保できているのですから「悪いことをしても、忘れてもらえる」という事例がどんどんつくられていったのかもしれません。この流れが再発防止につながっていたのかは疑問が残ります。
もちろん、議員を選ぶのは有権者である国民、県民、市民です。多くがその方を認めれば、「過去の汚点は許されリセット、政界では何をやってもいずれ元の場所に戻れる」ということが証明されている、そんな社会がつくられていることになっています。
■ 本当に反省していれば再出馬はできないはず
でも、私が一番不思議に思うのは、当事者の行いです。きっとすべてが本人次第だと思っているからです。当事者が本当に悪いと反省していたのであれば、責務の重い政治家として二度と公には出てこれないとなるはずだからです。
結局自分では「さほど悪い事とは思っていない」、または「本当は納得していない節がある」から、同じ地位に戻れる再出馬という道を選ぶことができているのだと思います。
世間的に恥ずかしいことをしておいて、また自らが立候補して議員にしがみつくようなことはできないとなるのが普通の心情だと私は思います。自分を信じて投票してくれた有権者の方を裏切る行為をしたことは、言わば契約違反です。
一度でもそんなことがあれば、企業ならもう二度とその会社や地位には戻れない話ですよね。社会の中で一般的な人であれば、世間の評価は厳しい対応がその後もつきつけられるものです。
このような文化で働く風潮が、過去から近年までずっと続いていて、政治家の不祥事の対処法としての「復帰マニュアル」でもあるかのようです。結局、最後は好き嫌いの人間関係で良しと判断される投票がすべてだということでしょうか。
今の時代はネットなどの情報社会です。私は投票の前にはこれまでの議員の行いも検索等で調べてみるようになりました。もちろん、フェイクニュースも潜んでいるので、しっかりとした情報源の中から真実を見極めることが必要となります。










