■ 期待感をなくしたこと
令和5年3月22日に、今期最後の本会議が終了しました。最終日に決議された中に私に対する問責決議が議員から提出され、その審議が行われました。詳細については以下のブログで説明しています。
私の正直な感想を申し上げると、一言で「虚しさ」です。
私に対する「問責決議」が可決されました。問責決議自体は法的拘束力もなく、議員の多数派の判断で決定したことです。そのことについては、賛成した人たちに対しての腹立たしさも悔しさも全くありません。私にとっては、そこは大きな問題ではないからです。
ただ、私が何に虚しさを感じ、落胆したかと言うと、今後の議会に対する期待感が薄れ、残念な気持ちしか残らなかったことです。
仮に、今期の議会を力だけでねじ伏せていた影響力のある人がいて、次からその人たちがいなくなったとしても、きっとまた、第二、第三のその人に変わる人が現れるだけだろうと感じました。そのことにがっかりしたということです。
私の政治信念を理解し、人格を尊重してくれる人がいない限り、私を敵対する人は無限に現れるだろうと悟りました。全て人間が決めていることなので、結局は感情論でしかありません。特に議会は、対話できる人ほど阻害されて疲弊していくところなのだと、はっきりとわかりました。
ある意味、こういうことなのだと私は推測しています。
威厳のある議員には指摘しづらいものです。そんな中で自分よりも議会の経験が浅い議員が、同等に意見を述べてきたら、その議員は歯向かわれたと思い、自然と腹立たしくなることはわかりきったことです。だから、大抵の人は意見を言わず逆らわずに従う方が無難と思う構図ができてしまいます。
個人の考えを持たない議員の集まりそのものが多数派の形なのではないかと私は思っています。そして、私はこの4年間である結論に達しました。
一般常識の中での「合意形成」は対話
でも、議会の中での「合意形成」は同調圧力と少数派の排除
ということです。
だから市民目線と矛盾が生じているのだと私は痛感しています。この先、仮に私が市議会に戻らせてもらえたとしても、果たして、市民の正しい気持ちが反映されていく市政に、導いていくような議会になっていくだろうか、という一抹の不安が芽生えました。
そこに対する期待感が持てなくなってしまい、この残念な気持ちだけが残ったという意味です。
■ 20期の議会改革の実りはちゃんとあった
でも、そんな中でも、これまで「対話」をしっかり培ってきた友情と呼べる議員がいました。そんな仲間の議員が、本件の議案に対して、質疑や討論、反対、棄権と、それぞれの立場で表明し、私を援護してくれていた姿には感銘を受けました。
日頃から仲が良いから助けてくれたのではありません。強要したわけでもなく、真摯にこの議案に向き合い、議案の中身を客観的に見て、厳しく精査した上での判断が、私の思いと一致していたということです。だからこそ嬉しかったのです。
そんな政治姿勢や信頼感の中で、絆を深め協力し合えてきた議員も、芦屋市議会の中にはいて、ちゃんとそれが成り立っています。そのことが今期の議会改革の実りの部分であったと私が実感している部分です。
でも、やはり決定権を担う過半数以上はまだまだ、そうはなっていないのが現状です。だから無念の気持ちしか今はありませんと申し上げました。
これは余談ですが、私はこの件で人様に対してビクビクするようなことは一切ありません。仮にもし、後ろめたい偽りがあることをしている人がいたとしたならば、自分自身でそれがわかっているはずなので、常にビクビクしながらこれから過ごしていくことになるのだろうなと思っています。
皆さんはこの一連の議会での様子を見て、どんなふうにお感じになられるでしょうか?この後は、その判断に委ねます。










