■ 相手にとって不都合な私の意見
他の人の意見を聞いてそれが気づきとなり、自分の考えが変わることがあります。そのために意見を出し合う場が必要なのだと思います。
話し合いの場では「なるほど」と自分の考えを改める場面もあれば、逆に「なるほど」と私の言っていることを理解してもらえた時はとても嬉しいものです。
初めから自分と違う考え方であっても、話をするうちにお互いの利点になったり、あるいは共通点を見いだせることがあります。だから、自分が発言した意見を訂正することは別に恥ずかしいことでもなんでもないと私は思っています。
しかし、これまで私が体験してきた議会の中での議論は、反対の意見同士がずっと平行線で、交わるような場面にあまり出くわしたことがないという印象が強かったのです。ルールを逸脱して感情論で推し進める議論になりつつあっても、それを指摘する意見が少数であれば正論が通用しない雰囲気が漂っていたからかもしれません。
相手の意見を指摘することは、全体の答えを正しい方向に導き出すための意見の混じり合いだと思っているので、気づいたことを発言し他の人の意見にも耳を傾けてきたつもりです。
■ 自分の意見はどこに向かっているのか
時々思うことがあるのですが、自分の意見はいつもどこに向かっているのかということです。自分以外の人に理解を求め共感してもらうためのものなのか、ただ自分の主張だけを伝えて終えたいだけのものなのか。
感情論が飛び交っていると感じる場面に出くわした時、「ここで私の意見を伝えても理解を得られないだろう」という思いが邪魔をして、話すことを諦めてしまうことになってはいけないとわかっています。
時には反論せずとも穏便に聞き流す方が良いのか、それとも、些細なことでもおかしいと感じる主張はその都度説得を続ける方がよいのか。自分へのこの問いはしばらく続きそうです。










