伝える目的」を大切にする理由
積極的に個人でのSNS発信をされている地方自治体の首長が近年増えてきました。特に、生活圏に関わる芦屋市長や兵庫県知事、また近隣市の首長の発信は、施策の参考にもなるため、私も意識して見るようにしています。そうした中で、私が改めて感じたのは、芦屋市の高島崚輔市長と兵庫県の斎藤元彦知事の「伝え方」には、大きな違いがあるということです。高島市長の発信から伝わってくるのは、まず「誰が現場で担ってきたのか」という視点です。
たとえば教育委員会に関する話題でも、自身の公約の着手を前面に出すのではなく、教育委員会の役割を尊重し、教育長をはじめ、現場で支えてきた人たちへの感謝や労いが自然に言葉に表れています。首長という立場にあっても奢ることなく、周囲への敬意を忘れない姿勢がいつも伝わってくるんですよね。
一方で、斎藤元彦知事の発信については、どうしても「自分自身を主役に据えた表現」が目立つように感じてしまいます。そう思う理由の一つは、投稿に寄せられるコメントの傾向です。コメント欄には、「知事すごーい」と称賛する声が並ぶことがパターン化していて、反対に「知事個人の成果ではない」といった批判的な意見も多く見られます。賛否が大きく分かれるという事実そのものが、発信の受け取られ方を象徴しているかのようです。この違いには、発信の主体としている目的そのものが異なるのではないかと考えています。
ところで、私が発信で常に意識しているのは、「こういう施策がある」という事実を、まず正しく知ってもらうことです。そのため、成果を強調することよりも、なぜその施策が必要だったのか、どのような経緯で実施されているのか、そして何より、利用者に「その事業があること」に気づいてもらうことです。施策も利用することでメリットがある情報は、きちんと届かなければ意味がないからです。
逆に、行政の失敗や落ち度については、とりわけ人を不安にさせかねない内容であればあるほど、改善点を含めて声を大きくし、広く伝え、十分な説明を行う必要があると考えています。政治を預けられている以上は、利益も不利益も、等しく共有する事項だという考えです。もちろん、議員であれば、その結果として、批判が必要になる場面もあります。それは誰かを攻撃するためではなく、同じ不安や混乱を繰り返さないために欠かせない行為だと思っているからです。
首長の発信を見比べて感じたこと
さて、お二人の首長の話に戻りますが、まず、最近の高島市長のブログを見てください。
👉️Xの投稿『高島りょうすけ|芦屋市長アカウントより2026年1月25日のポスト』
影の努力者の方々を労うことが先にきています。いつも発信の目的が「誰かのため」に向いている。必要な人に情報を届けようとしている姿勢が、言葉の端々から伝わってくるのがわかります。
次に、斎藤知事の最近のブログを見てください。
👉️Xの投稿『兵庫県知事さいとう元彦アカウントより2026年1月26日のポスト』
この発信だけを見ると、兵庫県が単独で不登校問題に取り組み、知事個人の手腕によって状況が改善したかのような印象を与えかねません。実際、コメント欄でも、「また県だけの成果みたいに見えるように話を盛ってる。不登校児童生徒支援員の費用負担は県と市とで1:1だよ。県と市の共同費用負担の事業だよ。」という点を指摘する声もありました。
そこに至るまでの経緯や、どのように実現されたのか、現場で苦労を重ねてきた人たちの存在は、ほとんど見えてきません。教育分野の取り組みであっても、本来は多くの人の積み重ねによって実現しているはずのことが、あたかも知事個人の成果であるかのように受け取られる表現が少なくありません。その結果として、「斎藤知事はできる人」というイメージが世間に広く流通していることも、無関係ではないのかもしれません。
芦屋市が先行して行ってきた不登校支援
不登校児童生徒数の増加に関する課題は、なにも斎藤元彦知事だけが高い問題意識をもっていたわけではありません。また、兵庫県が新たな施策に踏み出したからといって、直ちに不登校の増加数が下回った、という単純な因果関係でもないと私は理解しています。
それよりもむしろ、兵庫県が動き出す以前から、各市町村の現場では、学校関係者がそれぞれの立場で、試行錯誤を重ねながら改善策を考え、学校環境を少しでも良くしようと努めてきたという背景があります。今ある動きは、そうした長年の積み重ねの上に成り立っているものだからです。現に芦屋市では、県が「新規施策」として打ち出している、令和6年度から開始された「不登校児童生徒支援員」の配置支援より先立ち、令和5年度以前から、支援員の人件費を市単独で予算計上し、独自に不登校支援を実施してきました。
これは、自治体の中でも決して一般的とは言えない、先行的な取り組みの実現に踏み切っていたということです。兵庫県教育委員会による十分な制度的支援がなかったことから、現場の必要性を踏まえ、市として独自に対応してきたという経緯があります。人の配置や制度の設計を動かせるのは県教育委員会。そこが舵を切らない限り、大きな流れは変わらない話ですね。
加えて、ここで示している「不登校児童生徒支援員」事業についても、実施主体は市町村であり、費用負担は兵庫県と市町村が1対1で分担する共同事業とされています。実際に支援を担う現場で、努力義務や調整を担うのは市町村です。したがって、これまでの状況が特別に斎藤元彦知事個人の手腕によって、突然改善したというような話では、まったくありません。そもそも、教育分野、とりわけ学校現場に関わる施策は、首長個人の判断だけで動かせるものではなく、教育委員会制度のもとで教育長との役割が明確に棲み分けられている領域なのです。
ふるさと納税に見る、対照的な伝え方の姿勢
今度は、芦屋市と兵庫県のふるさと納税による税収の伝え方について、比較したい内容があります。まず、芦屋市が決算の時に示した概要を見てください。
寄附金は前年度より増えています。しかし、注目すべきはそこではありません。同時に減収額も増加しており、差し引きすると約10.4億円の減収となっています。この点について、メリットだけでなく、イメージが悪くなるデメリットも赤字で強調して伝えているのが芦屋市の姿勢です。
市民にとって都合の良い情報だけを示すのではなく、自治体の弱点や課題も含めて共有する。それは、市民と一緒に自治体の現状を受け止め、考えていこうとする視点であり、とても大切なことだと感じています。その上での高島市長の考え方を示されています。
👉️Xの投稿『高島りょうすけ|芦屋市長アカウントより2025年11月30日のポスト』
では、兵庫県はこのふるさと納税の税収の結果をどのように県民に伝えているのかを見て比較してみましょう。斎藤知事からはこのように伝えられていました。
👉️Xの投稿『兵庫県知事さいとう元彦アカウントより2026年1月15日のポスト』
寄附金額が増えたという「良い面」だけが強調され、減収という側面については触れられていませんでした。その結果として、案の定、次のような指摘を受けるコメントが寄せられています。これは、令和7年10月3日に開催された令和6年度決算特別委員会における、職員答弁の内容の動画のようです。
担当課の見解として示されたのは、ふるさと納税における流出超過が約30億円にのぼっており、この状況は看過できないという認識でした。そのため、たとえ寄付額が増加していたとしても、手放しで喜べる状況にはない、という説明がなされています。
しかし、斎藤元彦知事が示した資料を見ると、芦屋市のように懸念されている「減収」の側面については、グラフのどこにも示されていません。これは大事な点なので、良い面だけでなく、マイナス面も含めてきちんと伝えたほうがいいと思い、差し引きの減収約30億円超えを私が記入した兵庫県のグラフがこちらです。
正直なところ、自分の成果をとにかく前面に出し、手柄のように伝える人は、政治の世界では少なくないのだろうと感じてきました。たぶんそれが選挙での評価につながる、という受け止め方もあるからだと思います。きっと、そうしたアピールも、場面によっては必要なのかもしれません。ただ、実際には一人で成し遂げられることなど、ほとんどありません。でも、私はどうしても、「自分がやりました」という語り口が前に出る議員の姿勢に抵抗を感じてしまうところがありました。自分から声高に言わなくても、ちゃんと見てくれている人は見てくれている。それが一番大事なことだという思いがあったからかもしれません。
確かに、自己演出が上手な人のほうが、世の中をうまく渡っていける場面もあるのでしょうね。それでも私は、自分だけが前に出る人よりも、表に出ない場所で努力してきた人たちに光を当て、きちんと労える人に誠実さを感じ、政治の役割を任せて応援したい気持ちになります。これを会社に例えると、分かりやすいかもしれません。部下の努力をきちんと称え、その功績を前面に出す社長のもとでは、人が育ち、結果として会社の業績も伸びていく、そんな話を耳にすることがあります。
誰を主役として語るのか。その姿勢こそが、その人のリーダーとしての在り方を反映している。そんなことを、議員として日々感じています。




















