なぜ兵庫県知事への抗議の声は止まらないのか
まず先に、兵庫県知事にスポットを当てたいと思います。
再選挙から一年二か月が経過した兵庫県の斎藤元彦知事ですが、SNSを見ていても、いまだに「辞職を求める抗議の声」が鳴り止んでいません。その多くは、再選後の知事自身の発言や振る舞いが発端となっているケースです。こうした批判の声に対し、すぐに「アンチ」と決めつける人もいますが、果たしてそうでしょうか。実際には、常に粗探しをして叩くために張り付いているというものでもありません。むしろ、私には、知事側からあえて“ネタを提供しているかのように”、一般的な常識を覆す行動が繰り返され、それが新たな批判を招いているように見えます。
本来、知事としての振る舞いが是正されていけば、不満の声はここまで大きくはならず、自然と静まっていくはずです。しかし私が見ていて感じるのは、火種を消そうとするどころか、疑義が浮上すればするほど、首長としての態度がむしろ悪化しているように映っている点です。そのひとつが、斎藤知事が個人管理をしているSNS投稿の内容です。
例えば、特定の企業や商品を贔屓目に見える形で紹介する行為が常態化し、商品アピールよりも自分の顔を前面に出す自撮りがお決まり、注意を受けても改めている様子はありません。また、県民を代表する記者からの質問に対し、はぐらかすような対応が続いています。さらに、具体的な証拠を突きつけられても、気持ちのこもらない定型的な回答を繰り返すため、定例記者会見の空気が改善される気配はありません。公務に関する遅刻についても、改善されるどころか、状況はより深刻になっているように見受けられます。
また、公務中の携帯電話操作や自撮りについて指摘を受けた後も、まるで日常が個人の選挙活動であるかのような、人気取りを意識したSNS発信が続いているようにも感じられます。その姿勢には、強い自己演出を感じざるを得ず、正直なところ、こんなSNS発信が続いている点には、県民が求める首長としての公務姿勢とのズレを感じても不思議ではありませんね。
しかし、こうした指摘について、斎藤知事が変わる様子はまったく見られません、むしろ、抗議する人の声が大きくなってくるのを目にすると、「刺激して注目を継続するために、わざとやっているのではないか」とすら感じてしまいます。
「当たり前の注意を受けても行動は改まらず、むしろ加速する。遅刻を繰り返し、ナルシストぶりが透けて見える自撮り投稿が続く。責任の所在は語らない。」
このような姿勢を取り続けているのが兵庫県知事なのです。
兵庫県の「顔」とも言える立場にある人物の振る舞いは、単なる個人の問題ではなく、社会に示される一つの価値観そのものです。その姿を、市民だけでなく、これから社会に出ていく子どもたちも見ています。仮にそれが反面教師として機能するのであれば、まだ救いはあるのかもしれません。しかし、社会人として本来守られるべき職場の秩序や規範が、権限を持つ立場の人間によって曖昧にされ、軽んじられていくとすれば、それは決して見過ごしてよいものであってほしくわない。公務の現場における姿勢は、組織の空気をつくり、社会の基準を形づくります。
だからこそ、私はこの問題を「個人の単なる振る舞い」として片づけることなく、行政に携わる一人として、そして次の世代に責任を負う大人として、黙って放置したくないのです。地方議員である私は、行政の仕事、そして市民の暮らしを託されている首長のこうした態度を前に、情報の整理を心がけてこのような発信を続けています。
責任をとらない知事、矢面に立たされる現場職員
ここで、責任の所在について改めて整理しておきたいと思います。
しかし、斎藤知事のこれまでの発言や対応を振り返ると、行政が問い詰められるような問題が生じた際に、その責任を自ら引き受けるというよりも、「担当課に確認して」「仕組みの問題」といった形で、説明の重心が常に他者や組織側へ移ってきた印象は否めません。
たとえば、最近であれば、はばたんPayをめぐる運用上のミスについても、県としての不備が指摘される中で、斎藤知事はあえて委託先事業者の名称が前面に出され、結果として責任の矛先が業者側に向く構図が生まれたように見えます。同様に続くミスについては、当事者に対して個別にメールでの謝罪は行われたものの、知事自らが公の場で説明し、県としての受け止めや再発防止策を示すことはありませんでした。
個人情報の取り扱いや情報配信の誤りは、行政において極めて重大な案件です。県民は、自らの大切な情報を県に預けています。その運営に対して疑念が生じている以上、首長が責任者として説明することは、当然の義務であると考えます。
斎藤知事は、はばたんPayについて、物価高対策として県が主導して取り組む重要な施策であるとして、自らの肝いり施策であるかのように積極的に大きく発信してきました。そのわりには、運用上の不備やミスが明らかになった際には、知事としての発言を行わない、これでは、発信の姿勢との間に違和感を覚えますよね。
しかも、本来であれば、自治体における事業において、首長は「知らなかった」「担当が判断した」で済ませる立場ではありません。最終責任者として、判断の経路と責任の所在を明らかにし、自ら調査に乗り出し県民に説明する責務があります。少なくとも多くの首長はそのような対応をしてきました。しかし、斎藤元彦知事の対応は、責任を引き受ける姿勢が十分に示されていたとは言い難く、結果として県政への不信感を強めてきた側面があると感じています。
公益通報者保護法をめぐる告発文書問題に関連して、定例記者会見の中で幾度となく責任の所在を質問されていた場面でも、知事は、県側の担当課を明確にすることなく、対応や責任の所在を曖昧にしたまま話を終えてきたという指摘がありました。こうした状況は、百条委員会設置後の質疑の中でも、担当者や責任部署を具体的に示す説明が十分ではなかった点がありました。指摘された後の知事の見解と現場職員との証言に違いがありました。
- 「はばタンPay+」の広報物に知事の顔写真を掲載したのは「知事の意向だった」と述べる職員。
- 授乳室が一時的に使用できなかったのは、知事から「更衣室を用意してほしい」という意向が示されたことが背景にあったと述べる職員。
これらの事例が報告される中で、知事の説明は「そうしたのは職員だった」と受け取られる表現にとどまる場面がありました。その結果、外から見れば、常に「誰かのせいにしている」「責任を現場に押しつけている」と受け取られてしまうのも、無理からぬことだと思います。しかし実際には、職員は知事の意向や要請を受け、それに応えなければならない立場に置かれていたという背景がありました。そうであるにもかかわらず、判断の経緯や責任の所在が十分に説明されないままでは、現場だけが矢面に立たされる構図になっていますよね。
さらに、公益通報者保護法をめぐる県の対応についても、同様の対応が見られました。国の消費者庁は、全国の自治体に対し、公益通報に関する相談窓口の設置や対応体制の見直しを促す通知を出していますが、この件について知事が「レクチャーを受けた」と説明した際、どの部署から、どのような内容の説明を受けたのかというのがどっちつかずの回答。県政改革課なのか、人事課なのか、あるいは別の担当部署なのか、知事の話を聞いている人たちに明確に伝わったとは思えませんでした。本来であれば、制度運用の中核に関わる重要な通知である以上、所管部署や判断経路がはっきり説明されて然るべきです。
しかし、この点についても回答は曖昧なままで、責任の所在や意思決定の流れが見えにくい状況が続いています。こうした説明の不十分さは、制度そのものへの理解不足を疑われるだけでなく、現場職員や県民に不要な混乱を与える結果にもつながりかねません。これらの積み重ねの対応を見ると、結果として 責任の所在や情報の根拠、担当部署が不明確なまま対応が進められてしまったという印象が、県民や職員の間に広まったことは否めません。首長であれば、
- 起きた事象を詳細に説明すること
- 責任の主体を明確にすること
- 法的・制度的な根拠を示しながら丁寧に答えること
本来であれば、具体的で整理された説明が求められますが、極論に踏み込まない定型的な表現や抽象的な答弁が繰り返されたことで、結果として「誰かのせいにしているのではないか」という評価が生まれています。
失敗から学ぶ芦屋市のための内部統制
ここまで、兵庫県知事の説明責任の在り方について述べてきましたが、今度は芦屋市についてです。芦屋市の行政運営は、「失敗や誤りは起こり得る」という現実を正面から受け止めたうえで、そのリスクをいかに低減し、市民サービスの質をどう守っていくかという視点に立って進められています。その一つが、行政内部で起きた失敗や課題を隠すのではなく、注意を受けて得られた教訓を「見える化」し、再発防止につなげていくという考え方です。
また、内部からの問題提起や通報についても、コンプライアンス課の設置により、職員が改善を求めやすい体制が整いました。
この体制整備の背景には、過去のハラスメント事例に関する第三者調査委員会の助言を重く受け止めたことがあります。その指摘を踏まえ、組織として再発防止と内部統制の強化が必要だと判断し、コンプライアンス機能を明確に位置づけるに至りました。勇気をもって声を上げた職員を孤立させず、組織として課題を共有し、改善へとつなげていく仕組みを構築しようとする姿勢は、透明性のある行政運営に向けた重要な一歩だと感じています。
さらに、高島市長の就任後、市長自らが内部統制の整備および運用に責任を負う主体であることを明確に位置づけた点も、芦屋市の行政運営における大きな特徴と言えます。総務省のガイドラインに基づき「芦屋市内部統制基本方針」を策定・公表したことは、庁内に対しても、市民に対しても、行政の姿勢を明確に示す取り組みです。
こうした方針の明示は、組織内部の意識を引き締めると同時に、行政運営の透明性を高める効果があり、「市民から疑義を持たれることなく信頼される行政を何よりも大切にしていきたい」という想いが伝わってきます。内部統制を「形だけの制度」に終わらせず、実際の運用につなげようとする姿勢は、今後の芦屋市の行政運営においても、前向きな流れを生み出していくものと期待しています。
【芦屋市内部統制基本方針】
この内部統制基本方針は、誤りや不正を完全に防ぐ万能な仕組みではないこと、その限界があることについても、芦屋市はあらかじめ公式文書の中で明記しています。そのうえで、リスクを識別・評価し、対応策を講じることで、将来にわたり安定的で質の高い行政サービスを提供し続ける姿勢を示しています。これは、問題が起きた後に場当たり的に説明を重ねるのではなく、「起こり得ること」を前提に制度を整え、責任の所在を明確にするという、行政として極めて誠実な姿勢です。
とは言え、中々すぐに組織の体制が改善するものではありません、この内部統制は始まったばかりです。一方で、ここ一年近く、芦屋市では業務ミスを議会に報告するということが相次いでいました。いずれも、確認等をしっかり行っていれば起こり得ないようなミスです。
本来、起こしてはならないケアレスミスであっても、それが一度や二度であれば、大きな問題として注目されることは少ないかもしれません。しかし、議会への報告が遅れたり、迅速な対応がなされなかったりする状況が繰り返されるのであれば、それはもはや単なるミスではなく、行政としての姿勢や管理体制が問われる問題になります。こうした状況が続けば、「行政の怠慢」と受け止められても仕方がありません。実際、芦屋市議会からは、中島議長より、高島市長に対して、 『令和710月7日_適正な事務執行を求める申入書』 対応の在り方について申し入れが行われた経緯もありました。
当然のことながら、最高責任者である首長は、行政運営において常に説明責任を問われる立場にあります。問題が起きた際には、その責任の所在を曖昧にすることなく、誰がどの判断を行い、なぜそうなったのかを明確にすることが求められます。そのためにも、日頃からリスクを想定し、未然に防ぐための体制、いわゆるリスクヘッジが機能する仕組みを整えておくことは不可欠です。こうした体制があれば、万が一問題が生じた場合でも、被害や影響を最小限に抑えることができますし、結果として大きな行政トラブルへ発展することを防ぐことにもつながります。首長が率先してその重要性を認識し、組織として備える姿勢を示すことこそが、信頼される行政運営の基盤になると考えます。
実際、芦屋市では、内部統制の表明によって、職員の事務ミスや業務上の課題が発覚した際にも、事実を公開し原因を解明した上で再発防止策に努める決意を示すこととなりました。
👉️芦屋市HP『令和6年度芦屋市内部統制評価報告書(PDF)
こうした対応は、短期的には厳しい評価を受けることがあっても、長期的には行政への信頼を支える土台となります。透明性を確保し、説明責任を果たし、制度として改善を重ねていく。芦屋市の行政運営からは、「失敗しない行政」を装うのではなく、「失敗から学び、立て直す行政」を目指すことを続けてほしいと願います。これは、市民の暮らしを預かる自治体として、また職員が安心して職務に向き合える環境を守る組織として、評価されるべき点だと考えます。
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