■ 書面としての回答を要求
私は、帰山議長と岩岡副議長との面談を通じて、👉️申し入れに対する回答の結果について、書面で返してほしいと求めました。
こちらは、書面で申し入れています。議会として対応しないというのであれば、議会の中で何が起き、どのような判断が示されたのか。その経過を、きちんと記録として残しておく必要があると考えたからです。
議会の中で起きた出来事が、誰にも検証されないまま曖昧に扱われてしまえば、それは「何もなかったこと」と同じように扱われてしまう可能性があります。しかし実際には、確かに出来事は存在し、その中で判断がなされているはずです。
だからこそ、その過程を残すことには意味があると考えました。
しかし、この問題もまた、議長の交代の時期と重なり、明確な説明がないまま、結果的に有耶無耶の形で終わっています。引き継ぎが十分に行われていない可能性もあると感じました。
期が変わるタイミングで前期の申し入れの続きを伝えたところ、「前期のことなので」と突き返され、また、議事録の削除については「定例会中に申し出るべき」との説明がありました。
しかし、議事録の訂正が問題となるのは、その影響が後になって明らかになる場合もあります。この点について、対応時期の取り扱いには一貫性がないように感じられました。
こうしたモヤモヤを抱えた状況の中で、是正を求めても流されるということを何度も繰り返してきました。扱いたくないものは扱わない一方で、扱いたいものについては是が非でも急いで対応する。そのような自己都合とも受け取れる対応が続いていました。
それが、私がブログに綴ってきた議会の姿です。当然、私は、そのあり方を受け入れることができませんでした。
■ 訂正されないまま残るという現実
私は、申し入れについて、相談員や議長を通すという形を取り、当該議員に直接、議事録訂正の要求を告げることはしませんでした。しかし後になって、「直接申し入れをした方がよかったのではないか」という意見も示されました。話せばわかるかもしれない、という考え方です。
確かに、それが最も早い方法だったのかもしれません。ただ当時の状況を考えると、私にはそう判断することはできませんでした。
仮に議長が、同じ会派の当事者議員にこの申し入れの内容を伝えていなかったとすれば不自然ですし、伝えていたのであれば、その上で何も対応しないという反論が返ってきたことになります。
考えてみれば、今になって「自分の発言は間違っていました」と訂正がなされる可能性は高くないのではないかとも感じていました。つまり、どの方法を取ったとしても、結果は大きく変わらなかったのではないか、ということです。
自らの発言を訂正することは、その発言の信頼性を自ら損なう行為と受け取られることがあります。そのため、人は間違いを認めるよりも、自分の名誉を守ることを優先し、たとえ誤った内容であっても、それを維持しようとする傾向があるのではないでしょうか。
私には、当該議員が自ら言い出して訂正するとは考えにくく、自主的な対応を期待することは難しいと判断していました。その一方で、誤った理解の発言によって私の名誉が損なわれた状態が、そのまま残ることについても、看過できるものではありませんでした。
■ これを何事もなかったかのようにはできない
私は、申し入れについて、相談員や議長を通すという形を取り、当該議員に直接、議事録訂正を求めることはしませんでした。しかし後になって、「直接申し入れをした方がよかったのではないか」という意見も示されました。話せばわかるかもしれない、という考え方です。
確かに、それが最も早い方法だったのかもしれません。ただ当時の状況を考えると、私にはそう判断することはできませんでした。
仮に議長が、同じ会派の当事者議員にこの申し入れの内容を伝えていなかったとすれば不自然ですし、伝えていたのであれば、その上で何も対応しないという判断がなされたことになります。
つまり、どの方法を取ったとしても、結果は大きく変わらなかったのではないか。私はそう考えていました。
考えてみれば、今になって「自分の発言は間違っていました」と訂正がなされる可能性は高くないのではないかとも感じていました。
自らの発言の訂正を認めるということは、自分への信頼性を自ら損なう行為と受け取られることがあります。そのため、人は間違いを認めるよりも、自分の名誉を守ることを優先し、たとえ誤った内容であっても、それを維持しようとする傾向があるのではないでしょうか。
私には、当該議員が自ら訂正するとは考えにくく、自主的な対応を期待することは難しいと感じていました。
その一方で、誤った発言によって人の名誉が損なわれた状態が、そのまま残ることは看過できるものではありませんでした。
■ これを何事もなかったかのようにはできない
この頃の私は、正直なところ、議長という立場の人に相談すること自体が虚しく感じられるようになっていました。誰に伝えても結果は同じではないか、という思いが強くなっていたからです。
そして、何が問題で、どこまでが事実として確認され、どのような判断がなされたのか。それらが誰にも共有されないまま、時間だけが過ぎていく状況となりました。
議会に求めること自体が無意味に思える瞬間もありました。だからこそ、このことをより多くの人に知ってもらうことこそが、最も意味のある行為なのではないかと考えるようになりました。
このまま闇の中で終わらせてしまっていいのか。ハラスメントを申し立てた側が、その後も理不尽な対応を受け続け、その経過がほとんど知られないままになっている現実。
その重さと向き合ったとき、市議会の中で何が起きたのか。その実態を公に示していくこと。それが、組織の正常化につながるのではないかと考えました。
そして私は、この一連の出来事をブログとしてまとめる決意を固め、記録として書き溜めてきました。
■ なぜ、この記録を残すのか
ハラスメントの問題は、時として“数の力”の中で起こります。組織の中で弱い立場に置かれる人が不当に扱われないようにするために、内部告発や問題提起という仕組みがあります。
本来、それは弱い立場の人を守るためのものです。
しかし現実には、問題を指摘した側が「問題ではない」とされ、逆に傷つく立場に置かれてしまうことがあります。
もしこのような出来事が、検証も訂正もされないまま終わってしまえば、「このような対応でも問題はなかった」という前例として残ることになります。
このブログを書こうと思ったきっかけは、似たような経験をして悩んでいた議員が、他市にもいると知ったことにあります。議会の中で起きていることは、表に出にくいものです。また、ハラスメントの被害を訴えた側が、逆に疑われたり孤立したりする構図は、議員という立場に限らず、社会のさまざまな場面で見られるものでもあります。
この出来事を、感情的な主張としてではなく、一つの記録として残すこと。それが、今の私にできる抑止力になると考えました。議会の中で何が起き、どのように扱われ、どのような経過をたどったのか。その事実を残すためのものです。
同じような状況に置かれた人が、「声を上げることには意味があるのか」と迷ったときに、判断するための材料の一つになればと思っています。
組織の体制について、内部告発という方法で申し立てる場合、完全に人権が守られ、無傷でいられるとは限りません。そうした現実があることは、あらかじめ理解しておいた方がよいと思います。
相手が組織の権力者であればあるほど、弱い立場の人ほど、大きな抵抗に直面することが少なくありません。
それでも、ハラスメント防止を求めることを、諦めてほしくはないと願っています。
自分の思う結果にならなかったり、大きく傷ついたり、逆襲にあうこともあるかもしれません。けれど、事実はひとつです。
ここまで話してきた私の経緯も、なかったことにしないために。
そして、同じような状況に置かれた誰かが判断するための材料を残すために。
自分の経験を、記録として残すことにしました。
それが、今の私にできる選択だと考えています。










