ボーナス引き上げの人事院勧告
皆さんは「人事院」をご存知でしょうか?
人事院は、全国津々浦々様々な場所で日々仕事に励む多くの国家公務員を支える、いわば行政の共通基盤である国家公務員制度の企画・実施を担う、中立・ 第三者機関です。具体的には、給与等の勤務条件の改定等を勧告する立場を担っており、国民から信頼されるより良き行政の運営を確保することが、人事院の使命なのです。国家公務員の給与水準を民間企業従業員の給与水準と均衡させること(民間準拠)を基本に勧告を行われ、人事院は、その責務を適切に果たされているのです。
👉人事院ホームページ『人事院とは』
人事院勧告に基づく給与に関する議案が自治体で出され、令和4年12月議会でも総務常任委員会で以下の議案が付託され採決されました。
【第63号議案】
芦屋市公の施設の指定管理者の指定手続等に関する条例の一部を改正する条例の制定について
【第64号議案】
芦屋市一般職の職員の給与に関する条例等の一部を改正する条例の制定について
【第65号議案】
芦屋市議会議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例等の一部を改正する条例の制定について
(芦屋市特別職の職員で常勤のもの「市長」も含む)
上記3つの議案は賛否が分かれましたが、私はすべて賛成しました。第65議案の特別職の期末手当の引き上げのところで、物議を醸しているようですが、議員が自分の期末手当の引き上げに賛成することは、市民の方の見え方としては良くないようにうつるのでしょうか。しかし、私はこの議案が否決になるとわかっていても賛成していたと思います。特別職の報酬は人事院勧告に準拠する必要があって良いという考えです。報酬に関する理由は後半に述べています。
討論を聞いていると、未だ続くコロナの影響や、昨今の物価高騰に対する「市民と痛み分け」ともとれる言い回しが使われていました。しかし、慣例して人事院勧告の期末手当は、上がることもあれば下がることもあります。私は人事院勧告を否定する事と痛み分けはまた別の話だと切り分けて判断させていただきました。
引き上げに賛成した議員は、金額的には大きくない上がりだとしても、自分で自分の期末手当の報酬が上げられている議案に賛成するのですから、市民からは印象が悪くうつるのも当然かもしれません。私が世間の評価を恐れる議員であれば、物価高等の厳しいご時世なので、賛成すれば「自分たちだけ良い思いをして」と言う見方をされ兼ねないことを予測し、批判を避けるために反対を選んだかもしれません。
しかし、人事院勧告を受け入れるという体制は崩してはいけないと考えています。一旦手元に支給される額を削減等で支援する事であれば、明確に使い道が示せますが、今回のように、制度の秩序を崩してまで単純に何でもかんでも身を切る改革のように、報酬を下げれば良いというものでもないと感じています。
税金から報酬を得ている議員として、市民の家計圧迫に対する何だかの措置を講じるのであれば、人事院勧告を反対という形ではなく、市民に還元することを目的意識として明確に示す手段を選びます。議員提出議案により議員自ら報酬の減額措置を講じたように、「捻出された財源を市独自のコロナ対策及びコロナ収束に向けた発展的事業 に活用されることを求める。」と明記し目的を明確に示します。使用目的もなく特別職だからという理由だけで反対というのと、下記の請願のような措置で報酬の減額をするのでは意味合いが別の話なのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本音隠して良く見られても意味がない
志ある議員がいつからか自分の本音を隠し、「本当はこうする方が良いのに。」とわかっていることであっても、他人からの見られ方ばかりを気にするようになるがゆえに、自分の本心を次第に言えなくなってしまうことはないのでしょうか。そういう判断は本当に働き手を良い方に向かわせているのでしょうか。議員の中には本音を隠し「ええかっこ」だけの主張をしていることはないのでしょうか。私はこのように感じています。
なぜなら、議員報酬について、議員の反応はおもしろくて、報酬が上がることに「反対」、下がることに「賛成」される傾向をみると、本心というのは中々気付かれにくいものなのかもしれません。これは議員を客観的に見ての私の感想ですが、特別職の「市長」や「議員」に限らず、報酬というのは、ちゃんと仕事をして人に与えるものであります。
だからこそ、ちゃんとやっている人には上げてほしい、やっていない人には上げないでほしいと私はそう思います。一生懸命やられている人まで報酬を引き下げ、そこに引っ張られて、すべて同じ見られ方に向かわせるのは質の向上にはなりません。逆に、まじめにきちんと働く議員の方を増やさなければなりません。
会社を運営するのと同じで、市という組織を運営するということは、中の働く人たちの環境も良くしていかなければいけません。その状況を外の人に判断していただく上で、言わば株主と同じような市民の方へ理解してもらうことも必要ではないかと考えています。
企業に例えるなら会社のボーナス評価に対してそれを自ら拒否するということは、「自分は仕事をサボっているので気が引ける。だから受け取る資格がない」と言っているようなものだと感じています。通常よくあるのは、「自分の仕事をもっと高く見てほしい。だから報酬ください。」という働き手がほとんどではないでしょうか。考えてみれば、務めていて自分が報酬に見合う仕事をしていると誇れるならば、自ら給与を上げないでほしいとは言わないはずです。自分の仕事量に対する報酬に引け目を感じていることがあるなら別ですが。
こんなことを言っては何ですが、地方議員はまじめに活動すればするほど、出ていくお金も時間も増えます。 また、特別職である公人は、プライベートや批判など、私人とは違うリスクを背負いながら務めているということに直面することが数多くあります。中には特別職だからと言う事で公務員とは違い法的に守られていないと感じることだってあります。果たして特別職だけ良い思いをしている条件になるのでしょうか。
議員がみんな本音を隠して、市民の批判が怖いがために報酬の引き上げの議案に反対することが、返って自分で自分の活動の幅を狭めることになるのにと、個人的にはそう感じています。これでは真面目に活動する人が少なくなり、逆に適当になったり、不正をしたりする人が現れる状況をつくりだし、議員の印象が悪くなる一方です。
多くの議員は常に市民の方を有権者として見ていて、選挙を意識して自分の保身で賛否を決めるところがあるように感じています。自身が関係していることになると、報酬の審査の場合などは、市民に叩かれたくなくて本音が言えてないことになります。本音隠して自分を良く見られようとしても良い方向に市を導けるわけがありません。
議員のなり手不足と報酬の考え方
私は別の視点として客観的に議員の報酬を捉えています。政治家は、悪い面ばかりが問いただされていますが、議会の質を高めたければ「議員になりたい。」と思う方の層を広げる必要があります。誰が議員になってもいいように考えた時、報酬が下がるということは、ある意味で素晴らし人材のなり手の可能性を遠ざけ議員の魅力と価値を仲間の手でどんどん下げていることに関係してきます。
今のような判断ばかりする議員がいる状況では、女性議員を増やすなど到底無理な話ではないでしょうか。家計を支えられるぐらいのすでに収入のある優秀な方で、現状のライフスタイルを変え、生活水準や収入を下げてまで議員になる道を選ぶ人は少ない気がします。その生活を顧みずよほどの熱意と覚悟を持って選挙に出ることになるからです。
この議案に対し私が賛成した大きな理由は、引き上げの評価の議案を否決するということは、人事院を否定することであり、議員の仕事の価値を下げてもいいと自分で認めているようなものだからです。後々の議員のなり手の事も考えずに自分の立場をよく見せるためだけに、判断をしてはいけないと良く理解した上での決断でした。
報酬に関連した情報として2023年1月29日に、全国議長アンケートの結果が新聞の報道で掲載されていました。擦れば下記に上がっている意見として、私がお伝えしたかった ”現職の本音” の意味がここにあったことがおわかりいただければ幸いです。
私も皆様の税金から報酬をいただくようになった議員の一人です。その事を常に意識し、これからも誤解を恐れずに、言いにくいことや批判されるようなことでも、広い視野で考え抜いて、正しいと思うことには勇気を持って賛否を決断していきます。その考えが受け入れられるかはわかりませんが、私は自分が出した結果に責任を持ち続けます。
たかおか知子は、これからも皆様のために自治体にとって良い方向に導いていく努力をしてまいります。