■ やむを得ずの「ブロック」もある
いろんな首長や議員がSNSを活用していますが、やむを得ない対処として「ブロック」することも多いと聞きます。苦痛を感じてもブロックすることは気が引け、SNSの発信自体をやめられた首長もいました。
最近ある方がおっしゃっていたことで、気づかせていただいたことがありました。「異論」と「人格否定」は違うということです。
批判とひとまとめに言うと、政治家は言論の自由ということで批判し合っているということになるのかもしれません。しかし中には度を超えた「人格否定」が含まれている、行き過ぎた言葉があるのだと思います。
これまで私はFacebookやTwitterをやってきて対話を大事にしたかったので、いただいたコメントには必ず返信コメントを入れていました。しかし、コメントをいただいた匿名でない方の中で、お2人だけブロックをさせていただかなければいけなくなりました。
お二人とも最初はとても好意的で、投稿のたびに熱心にコメントを寄せてくださいました。毎回必ず書き込みを見てくださっていて、それがありがたいと思っていました。
ところが、ある時から変わったのです。好意的に思ってくださっていただけに、その方の意向と別の動きを私がとっていたことが気に触ったのだと思いますが、次のようなことを尋ねられました。
・会派あしや しみんのこえに所属していることに納得がいかない。
・賛否の結果について「反対」せずに「賛成」した事に対して納得がいかない。
■ 好意的なことが悪意的なことに変わる
そしてある時、事態は急変します。お二人とも共通していたのは、私が書いているブログの内容をご覧になられてからでした。一部の文章について「自分の見解とは違う。」ということで、訂正を求める強い要求をおっしゃってこられました。
私は伝わりやすさを求めたい思いで「比喩」を用いたりすることがあったのですが、その「解釈」の捉え方が私の思いとは違って取られていたようでした。文章間のやり取りでは自分の思いとは違って当てはめられることがよくあるのかもしれません。
きちんと真意を理解してくださっている方々もいる中で、実際にその方の見解と私の真意は違っていたのですが、ご本人の意見を否定することはせず、かと言って共感する態度も示していませんでした。そもそもが言われていることと違う思いなので、適当に話を合わせて曲げることはできませんでした。
■ SNSを使った執拗な追跡が始まる
すると次第に、SNSを使い間接的に自分の主張を認めさせようとする執拗な行動が始まりました。ご自分の考えを認めさせるという行動に出られたのが、私の投稿したSNSの引用です。SNSの投稿を常に監視するかのような追跡の悪意を感じる書き込みがなされていることを知らせてくれる方がいました。
でも、それだけなら私は関与することもなく、見ることもなかったのでスルーすればよいことでした。主張は事実と違う解釈をされているので、私自身は何もやましいこともなく、気にしなければよいことでした。
ところが、私から離れたところで間接的に批判し続けているその人に対して、私がその投稿を見ていなくても、周りの方々が気にされて伝えてきてくださることで事態がわかりました。それを見られた方々がその対象者の言動を「異常」とまで思われ、恐怖や不愉快な思いをされていることに気づかされたのです。
ここまでくると、私だけの問題ではなくなってきます。執着が悪意に変わったのだと受け止めるしかない瞬間でもありました。お二人は決まって同じことを言われていました。「政治家の批判は許される。」です。そうやってどんどん周りが見えなくなり、名誉毀損や脅迫ととられても正当化できるとは決してなりません。
■ ファンがアンチに変わる現象
スポーツや芸能の世界では、活躍を応援し支えるファンがいます。しかし中でもコアなファンほど、応援している対象に失望してアンチと化し、攻撃的な行動をとることも残念ながらよく見られるそうです。今ならばネット上で辛辣なコメントで応援対象を叩くようになるようです。
私のことに置き換えてみると、期待してくださっていたのは事実だと思うので、求められるものが次第に強くなり別の思いに変わられていったことが残念ではあります。
ただ、ここまでくると私のSNS活動の妨げにもなるので、申し訳ありませんが一旦ブロックという形で距離を置かせてもらうことにしました。
こういう経緯でブロックさせていただいた次第です。しかし、私の場合は一度そうなったからといってずっとそうするわけではありません。今はこういう状態をとらせてもらっていますが、いつかはまた和解する日がくると思っています。











