行政と市民感覚のズレを解消したい
市民と職員の感覚のズレを感じてしまうことが時折あります。私もそうでしたが、自治会活動の中では最終的に行政に頼るしかない場面が出てきます。そんな時、職員の反応を見て「あれ?伝わっていない?」と感じることがよくありました。
「何故わかってもらえないの?」と感じてしまっていたのでしょうか。話が伝わっていないと思えば思うほど、市民の主張もきつくなっていくでしょうし、そうなると文句を言っているように聞こえてしまうかもしれません。
どうして、行政に対して市民感覚とのズレを感じてしまうのかを考えているうちに、身近な話に当てはめて考えてみることにしました。ここからは、私の感覚で捉えている例え話に置き換えてお話します。
カレーが食べたいと思っている市民がいるとします。求められた職員は何とかしてその思いを叶えるために試行錯誤します。そして出来あがってきあがりました。ところが、見た目はカレーそっくり、でも味はチョコレートだったらどうしますか?
職員はこう思っていたとします。
- とりあえず見た目はカレーなのだから、満足してくれるはず
- 与えられた材料の中では、これが精一杯作れる料理だから仕方がない
- カレー味ではなくても、食してお腹が満たされたらよいはず
そして、職員は市民に「料理人を探し、時間をかけてご期待に沿うかたちでカレーが出来上がりました。こちらをどうぞ。」とこう伝えました。しかし、と言われましても見た目は似ていてもそもそもカレーとは言えないものを、我慢して食べなければいけない結果に満足することができるのでしょうか。
市民が「チョコーレートでは納得できない。」と突っ返えすことになっても仕方がありません。はじめにきちんと「カレー粉を使った味のカレーをつくってほしい。」という思いが伝わっていたら、時間をかけて作り終えた後に、2度、3度とすれ違いの話にもならなかったはずですが、出来上がって初めて感覚が大きくズレていたということがわかったという状況もあるかもしれません。
行政の中だけで納得していることがあったとしてもはじめからできないという思い込みで話を聞いてしまうと市民の理想に近づけるわけがありません。でも、先に求めていることを理解することで、材料のないところからでもどうにかしてカレー味になるように一緒に模索する姿を見せてくれることが大事なような気がします。もちろん実際に、そんなチョコレート味カレーがつくられることはまずないことなので、これは極端なたとえ話だと思ってください。