■ 調査結果が「ゼロ認定」なのはおかしい
報告書は、私の代理人のもとにも届き、その内容について報告を受けました。しかし、その内容を確認した代理人もまた、驚きを隠せない様子でした。なぜなら、調査結果がいわゆる「ゼロ回答」ともいえる内容だったためです。
私の反論書では、特に代表者会議における対応について、具体的な経過と根拠を示したうえで説明していました。そのため、少なくともこの点については、何らかの認定がなされる可能性があると考えていました。
実際には、以下のような事実関係がありました。
例えば、ある会議で「誰かがルール違反をした」とされ、その事例が具体的に紹介されていく場面を想像してください。
名前は出されていなくても、関係者が聞けば誰のことか分かるような形で話が進みます。さらに、「誰なのか明らかにすべきだ」「これは問題だ」「調査すべきだ」といった発言が積み重ねられていきます。
その過程は、まるで最初から結論が用意されているかのように見える形で、特定の人物の責任を前提に議論が組み立てられていくものです。
そして、当事者はその場で発言することができない立場に置かれています。そのため、事実と異なる内容であっても、その場で訂正することができない状況になります。
やがて、当事者が「そのような事実はない」と反論したとします。すると今度は、「自ら名乗り出た」「会議の進行を妨げた」といった形で、新たな問題として扱われてしまう。
■ どの行動を取っても不利になる構造
代理人は、この点について、反論書の中で次のように指摘していました。
それは、代表者会議における取り上げ方そのものが、狡猾であり、かつ悪質であることを端的に示しているものである、というものです。すなわち、どのような行動を取ったとしても、申立人にとって不利な結果にしかならない構造が、あらかじめ組み込まれていたと述べています。
実際に、その構図は明確でした。当事者が沈黙すれば、一方的に事実関係が積み上げられ、疑いが強められていく。
一方で、反論すれば、それ自体が「自ら認めた」「会議を妨げた」として新たな問題とされる。
どのような行動を取ったとしても、当事者にとって不利な結論へと導かれる構造になっている、ということです。このような状況は、公平な事実確認の場とは言えず、結果として特定の個人の責任追及へと誘導する構造であったと言わざるを得ません。
しかし、報告書では、この点について不認定とされた理由は示されていませんでした。
議長は、申立人の事例について不正確な説明を行わせたうえで、同一人物であることを明言し、「遺憾」「調査すべき」といった発言を行っていました。その結果、特定の個人の責任を追及する方向に議事が進んでいたと考えられます。
仮に私が発言していなかったとしても、申立人は特定され、責任を問われる流れは避けられなかった状況でした。にもかかわらず、「申立人が自ら特定を招いた」とする主張には無理があり、代表者会議での取り上げ方そのものに構造的な問題があったことは、十分に説明が可能な内容でした。
■ 説明を避けるように見えた弁護士事務所の対応
報告書の内容について疑問が残ったため、私は弁護士事務所にも連絡を試みました。調査の過程や判断の理由について、直接説明を受けたいと考えたからです。
しかし、連絡を取ろうと電話をするも、担当者とはつなげてもらえず、冷たい対応を受けました。裁判でもなければ、司法判断を受けたわけでもありません。なぜここまで対応を拒否するような強い姿勢が取られたのか、私には理解できませんでした。
調査の過程でどのような判断が行われたのか、提出した資料がどのように評価されたのか、そして複数の申告内容についてなぜ個別の判断が示されなかったのか。こうした疑問について確認することができないままでした。
この一連の経過を振り返ると、今回の調査は、当事者双方の認識の違いを整理し、問題の理解を深めるという意味で、十分に機能していたのだろうかという疑問が残ります。
少なくとも私は、この調査の進め方やその後の対応について、納得できる説明を受けたとは感じていません。また、どうしても正常な報告書として、受け取ることができずにいました。あまりにも不自然な対応だったからです。










