止むを得ずの「ブロック」もある
いろんな首長や議員が、SNSを活用していますが、止むを得ずの対処として「ブロック」することも多いと聞きます。また、苦痛を感じてもブロックすることは気が引け、SNSの発信事態をやめられた首長もいました。
最近ある方がおっしゃっていたことで、私は気付かせていただいたことがありました。「異論」と「人格否定」は違うということです。きっと、批判とひとまとめに言うと、政治家は言論の自由ということで、批判し合っているということになるのかもしれませんが、中には度を超えた、「人格否定」が含まれている行き過ぎた言葉があるのだと思います。
これまで私はFacebookやTwitterをやってきて対話を大事にしたかったので、いただいたコメントには必ず返信コメントを入れていました。しかし、コメントをいただいた匿名でない人の中で、お2人だけ私もブロックをさせていただかなければいけなくなりました。
・会派あしや しみんのこえに所属していることに納得がいかない。
・賛否の結果について「反対」せずに「賛成」した事に対して納得がいかない。
そしてある時、事態は急変します。お二人とも共通していた事は、私が書いているブログの内容をご覧になられてからでした。一部の文書について、「自分の見解とは違う。」ということで、訂正を求める強い要求をおっしゃってこられました。
私は伝わりやすさを求めたい思いで「比喩」を用いたりすることがあったのですが、その「解釈」の捉え方が私の思いとは、どうも違って取られていたようでした。文章間のやり取りでは自分の思いとは違って当てはめられることがよくあるのかもしれません。
好意的なことが悪意的なことに変わる
すると次第に、SNSを使い間接的に、自分の主張を認めさそうとし執拗が始まりました。ご自分の考えを認めさせるという行動に出られたのが、私の投稿したSNSの引用です。SNSの投稿を常に監視するかのような追跡の悪意を感じる書き込みがなされていることを知らしてくれる方がいました。
でも、それだけなら私は関与することもなく、見ることもなかったのでスルーすれば良いことでした。主張は事実と違う解釈をされているので、私自身は、何も自分にやましい事もなく、気になければ良いことでした。ところが、私から離れたところで間接的に批判し続けているその人に対して、私がその投稿を見ていなくても、周りの方々が気にされて、伝えてきてくださることで事態がわかりました。それを見られた方々がその対象者の言動を「異常」とまでに思われ、恐怖や、不愉快な思いをされている事に気付かされたのです。
ここまでくると、私だけの問題ではなくなってきます。執着が悪意に変わったんだと、受け止めるしかない瞬間でもありました。お二人は決まって同じ事を言われていました。「政治家の批判は許される。」です。そうやってどんどん周りが見えなくなり、名誉毀損や脅迫ととられても正当化できるとは決してなりません。
スポーツや芸能の世界では、彼らの活躍を応援し支えるファンがいますが、しかし、中でもコアなファンほど、応援している彼らに対して失望してアンチと化し、今まで応援していた対象者に攻撃的な行動をとることも、残念ながらよく見られるそうです。今ならば、ネット上で辛辣なコメントで応援対象を叩くようになるようです。
私の事に置き換えてみると、期待してくださっていたのは事実だと思うので、求められるものが次第に強くなり別の思いに変わられていったことが残念ではあります。ただ、ここまでくると、私のSNSの活動の妨げにもなるので、申し訳ありませんが一旦ブロックという形で、距離を置かせてもらうことにしました。