芦屋市議会を客観的に見た感想
相手に強要して「やれ!やれ!」と強く言うことは、相手のモチベーションを下げるだけなのではないでしょうか?これは、子どもに対して親も一緒であり、そして、行政に対して議員も一緒なような気がしています。私は、太陽のやり方を理解できるのですが、どうやったら相手に気づかせることができて自発的に意識改革ができるようにするかということを考え、そこに手を差し伸べる事が必要だと思うからです。
しかし、最近の議会と行政の関係を見ていると、議員が北風に見えてしまう時がよくあります。なぜなら、ただの論争を繰り広げているように感じるからです。粗さがしのような指摘ばかりを口にして相手を窮地に追い詰めるようなやり方は、両輪どころか逆に市の歩みを止めることになり、職員のやる気をなくさせてしまう行為にしかならないと思うようになりました。
信頼関係があるからこそ言いたいこともはっきりと、ちゃんと信じて言い合える関係が構築していけるものなのではないでしょうか。それが議会において重視しないといけない大切なことだと私は思っています。そんな合意形成の場になっていってほしいのです。
議員1人の背中には多くの支持してくれている有権者の市民の方の想いというものがあるから、行政との間にも議員を通じて大きな信頼という意見の重みがあるのではないでしょうか。だからこそ行政は議員の意見を尊重し、議会に市政の判断を委ねてくれているのだと思います。だから、決して議員の個人プレーを感じさせる単独思想だけの同調圧力があってはいけないのです。
責める意見だけでは伝わらないもの
北風と太陽の話に戻りますが、北風がとった方法は相手の状況もわからずに自分の考えだけを押し通して、さらに状況を悪化させました。旅人のコートを脱がせるには、どうしたら良いのかという本来の目的からかけ離れて、状況が余計に悪化しているようでは、一体何がしたいのか?どちらに向かっているのか?と疑問に思わずにはいられません。
議員がよくやっている行動は『北風』です。でも、本来やらないといけない目的とは、教えや気づき、解決を導き出して行動してもらう『太陽』でなければいけません。そんなことを思いながら芦屋市議会を客観的にみている私でした。
余談ですが「怒る」と「叱る」の違いを調べてみました。
- 「叱る」は、相手の非を指摘、説明し、きびしく注意を与える意味で、腹をたてていない
- 「怒る」は、腹をたてて相手に注意する意味なので、「優しく怒る」とはいえない
- 「叱咤」は、大声をあげて叱る、あるいは叱って励ますこと
- 「叱責」は、責任者が下の者の失敗や過ちをきつく非難すること
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「譴責」は、職務上の過失などで責めとがめること。日常生活ではほとんど用いない