おかしいと思うことは大切なこと
「おかしいと気づいたことを、おかしい」ときちんと主張できる権利は、どの議員も公平にもっているはずですし、許すもなにも昔からの仕組みや議会ルール事態が「おかしいのでは?」と思う時はどうなるのだろうと思うことがあります。
うっかりミスの失敗は誰にでもありますが、議会に慣れていない新人は方法を知らないことで誤った行動も出てきやすいと思われがちなのかもしれません。
しかし「こうするように!」というような何も知らないうちから慣例など、これまでしてきたこをすべて従うのが正しいと決めつけているのは違うと私は思います。期数を重ねた立場を利用して意見の重みをもたせるというやり方は長くは続かない時代にきていると感じているからです。
もちろん、これまで築き上げてきた歴史や経過は大いに大切です。数々の経験があってこそ、改善するところが見えてくるわけですし、そこには敬意を払わなければいけません。
ただ、これまでの期数を重ねてきた経験を否定されることを恐れ、過去のしきたりへの執着や、そのことで改革を行わないというのは違う気がするのです。
人数増やしのためのグループづくり
「仲間をつくる」というこの行為は、言葉ではなんとでも言えますが、単に数合わせをして多く集まれば良いだけの会派のグループづくりではないと私は思っています。お互いを尊重し支え合えない人とは、残念ながら思想が同じ枠組みにいても仲間とは言えないのではないでしょうか。
本当に理解を得るには、やはり信頼関係が必要であってそれに勝るものはありません。議会が個人感情で動くなんてとんでもないことで、「敵対の気持ちからは何も生まれないのではないでしょうか?」と、私は感じています。
「自分に従わないから」「可愛げがないから」「気に食わないから」とかそいう私情を政治判断に持ち込むことは絶対にないようにしていかなければいけません。
議会は、弱いものを威圧し強さを見せる場でもなく、個人のプライドや威厳を強調する場でもなく、意見の合意形成を公平に図る場です。もっと言えば、主役は市民であって行政に導く架け橋が議員の務めであると改めて感じています。
市民、行政、議員に上下関係もありません。マンパーで一体となって自治体を繁栄させていきたいです。不満の声を減らるようにできることから努力して参ります!