本来のやりたいことができない
思い返せばこの3年半、議会内部の議員間の理不尽な対応の仕事に私が追われ、そこに時間を取られると言うことが頻繁にありました。議会と言うところは、すでに決まっていたJR芦屋駅南地区の再開事業を2年間足止目しましたが、長い目で見てその分の市民に向けた大きな損失を生み出す結果を残したということを反対した議員は自覚しているのでしょうか。
また、議員が職員のハラスメント問題を取り扱い、その内容に誤りがあったことを指摘しつづけても取り扱おうとはせず、やっと不適切だったと本人(元議員)が認めて謝罪し、議会全体もそこに誤りがあったことを認めて決議するまでに何年かかったことでしょう。他にも、本来取り上げないといけない、不正を起こしている疑いがかけられていることは調査しようともせずスルーしつづけ。
そうかと思えばルールを違反してもいないのに、遺憾であると決めつけて、寄ってたかってモラル違反に仕立て上げたり、職務上知り得たプライベートに関する事を役職という立場を利用して知り得た情報を平気で他の人に暴露するようなことが起きているのですから、そこにつきあわされていると理解に苦しむわけです。会議の内容も議員間に公平に情報は伝えず、特定の議員にだけ差別化して対応する感じもあるし、こんな状態でどうやって1番大切な信頼関係を築きながら議論ができるというのでしょうか。
このように特定の議員にだけ議会内で攻撃ともとれる行為を続け、自分本位にマウントをとるような方法で私的感情のゴタゴタを議会で取り扱うようなことに付き合わされているような気がしてなりません。越権行為を利用すればなんでもやりたい放題で、議会という組織を自由に操ってし切れるものかもしれません。
こんなことなら、もっと他に考えたいことや、他の人のために使いたい時間がいっぱいあるのに、やるべき大事なことができない。どうして、ある特定の権限の議員の画策のために余計な時間を削られ、巻き込まれなければいけないのかと思えてなりません。
だからと言って手は抜きませんが、不条理なことを持ちかけられていると知ったからには受けて立ちますし放置はしません。いつもより倍動けば良いことなのですが、流石に睡眠時間は削られて体力的に消耗は計り知れません。だからといって、パワーは衰えていないのでご安心ください。
何が問題で、何が間違っているかを正しく理解し追及すれば仲間の賛同が必ずあるとそう信じて、虚偽や策士は必ず辻褄が合わなくなるものだから、健全な議会運営のために、諦めずに粘り強くがモットーの孝岡知子です。