助けてくれる仲間の議員に感謝
この新人議員の本音シリーズでは、私が議会に対して良く思っていないことのお話の方が多いような気がしますが、もちろん逆もあります。1人の知恵より、2人、3人、4人…と同僚議員の知恵をお借りして、私だけでは気づけないことや決して1人の力だけではできなかったことがたくさんあったからです。
そう言う時、議員さんってやっぱりすごいと実感します。同じ目的意識を共感し協力しあえる有志の議員の存在は本当にありがたいのです。私が困った時、真剣に心配して気遣ってくれます。そして相談にのってくれてちゃんと教えてくれる方もいます。私が他の議員から責められることがないように心配して忠告してくれる優しい議員さんが支えてくれたおかげで、理不尽な思いをすることがあっても耐えてこれました。
政治に疎かった市民感覚の新人の私が、これまで市議を続けてこられたのもそういう話せる人が議員の中にいたからです。信頼のおける仲間の存在がどんな時も私を強くしてくれました。いつも救われることばかりで何度も助けていただきとても感謝しています。
一方、私とはとても関係性が良いとは思えず、足を引っ張っろうとしてくる、不信感ばかりが募る印象を受けてきた議員の方がいることも確かに事実です。私はよくおかしいと思った事があれば、正直にお話ししてきましたが、芦屋市議会とひとまとめに議員と言っても、すべての議員の方がそれに当てはまる訳ではありません。
信頼できる人がいなくて疑心暗鬼な閉鎖的な環境にずっといたとしたら、きっと今頃は身が持たなかったと思います。芦屋市議会には、常に相手の気持ちを考え、人の気持ちがわかる心の優しく、市民や職員のことを心底思っているのが私には伝わる議員さんもいます。そんな相談できる仲間の絆があったからこそ自分の意識強く、そして楽しく議員生活をおくる事ができています。
政党や会派が違っても、選挙ではライバル関係にいながらも、議会ではそんな協力関係が築ける同僚議員の存在は大切で、そこが今の芦屋市議会の良いところだと感じています。そして、そんな議員の方々との出会い、議員として一緒に市政に携われていることを嬉しく思いそうつくづく実感する日々です。
私にとってはすべてが是々非々
議会改革が絶対必要!とそう思ってきました。たとえそれが市民生活に直結しているように見えなくても、実は根本からそこが変われば、もっと良くなって市民サービスに還元されていたということがあります。私にとって理想の議会とは、本当の意味での「是々非々」で判断して物事が決まることでした。
しかし、今の議会は私から言わせてもらえばただの「私的感情」で動く議会。個人的にそう捉えています。何故そういう風に思えてしまうかというと、議会は数を取り合っているわけでも、賛否で勝ち負けを競い合っているわけではないのに、会派や政党の人数で結束して先に決めるというのがおかしいからです。一人一人の議員の思いを尊重し、その答えが是々非々で集まれば必ずきっと納得の行く答えが出てくるはずです。そんな話し合いがしたいと常にそう思ってきました。でも、実際は市民の皆さんからもこんな言葉を聞きます。
「単なる政党合戦でしょ。」
「政治のゴタゴタか・・・」
「数はどうなっているの?」
どうしても政治家が絡むとそんな風な印象を持たれている方が多いということでしょうか。だから私は議会を「是々非々」ではなく「私的感情」と思えてならないのかもしれません。例えば、私的感情で動くという意味に合致する言葉に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」がありますが、私は議会に関わるまでは、あまり耳にするような場面に出くわしたことはありませんでした。
「○○ってわけじゃない」って主張している言葉の意味は、全部自分との合わせ鏡なのではないでしょうか。自分の行いに心当たりがあることを先に言葉として発しているので、だから人は無意識に「そうじゃない」という言い方をするものかもしれません。
なので「〇〇だから反対したのではない」とう場合も、本当は〇〇の部分は、その人が図星だと一番当ててほしくなかったことだから、それをすべて自分で認めている証なのではないかと感じてしまいます。結局「自分は是々非々じゃない」と言っているようなものだからです。
「○○」という所を意識して聞いていると、実はここが正解の本心である部分という心理から捉えることができるので、そう物事を聞いていると一番言われたくないことが何かということが周りに気づかれていることになります。日頃から自分自身がその言葉を認識していなければ「そうじゃない。」という言葉を後に続けて言う必要がないですよね。
だって、心当たりがない人には想像も付かない言葉を口にすることはないからです。人は意識して自分の事に常に置き換えて当てはめて物事を考えるている主観的な部分が多いです。
私にとって政党派閥とかそういうのは関係なくて、誰がどうとかもどうでもよくて、自分の思想をぶつけて主張しているだけでいいんです。相手を批判するとか、好き嫌いで攻撃するとか、そこは必要ないことなんです。深い意味も意図も策略もないし、隠す必要もないし、遠慮もいらない、ただ市民の皆さまに事実をお伝えしようとしているだけのことなのです。
結果的にその事実が相手にとって「自分と意見の違う話」「自分は言われたくなかったこと」だったとしたら、結果として私の行為事態が、憎たらしい行動ととられることになるのかもしれませんね。