私の考える首長の条件とは
気質とは、人間や哺乳類などの動物の集団が先天的にもっている刺激などに反応する「行動特性」だそうです。簡単に言えば、人は窮地になった時にこそ、その人の本質が見えてくるものだということでしょうか。
政治家でもある自治体の市長に必要なのは、何事にもいざと言う時に、判断して自分で答えることができる能力もまた、大切だと私は感じています。答弁は必ず市長が答えないといけないと言うことはありません。でも、自分の考えを自ら述べず(述べれない)、議員や市民の質問に答えない(答えれない)、と言うのも、評価に含まれると思うからです。
どちらかと言うと、ほとんどの議員は質疑を得意としていて、行政側は答弁を得意としていると思います。これが入れ替わると、途端に喋れなくなると言う場面も議会の中であったように思います。あんなにいつも流暢に話してる職員もまた、反問権がない場で質問できる立場になると弱めに遠慮がちになるようです。
そして、議員間では時には質問者、時には答弁者となり、質疑することがありますが、「この議員さんは、自分の主張や質問は勢いがあって強いのに、逆に自分が問い詰められると、逃げの姿勢で答えれない」と思う場面もありました。言わば打たれ弱いか、逃げの体質の方です。
例えば、そんな方が質問責めにされる市長になったとして、強くリーダーシップをとられるとはとても思えません。何故なら、真摯に対応してもらえるとは到底思えないからです。大方、副市長や他の部長に答えさせて、そこに守られ自分は黙りになるかも。議員の時の様子を見ていたら、「きっとそうなるだろうな〜」ということが手に手を取るようにわかります。
一方で、一期目の現職伊藤市長は、問い詰められるような議員からの質問にも、前職の山中市長に比べると、断然、自らが答えることが多かったですね。しかも、この三年間は、特に異例の事態が多かったにもかかわらず、一度も逃げることなくご自身の言葉を伝えられていたからです。一市民である私のそこの評価は高いです。
「市長が答えて!」と、散々、指摘をしていた議員ほど、きっと自分が市長になったら、もっと質疑に答えることができないのでは?と、思う場面もありました。そう言う人ほど、自分が指摘される質問には、全く真摯に答えない姿勢ばかり見せていましたからね。もしかしたら、気質がないというより、「原稿がない」とアドリブがきかないタイプかもしれません。
自分で責めるのは得意としていても、質問されると逆に全く答えられない人というのは、一見、普段の意気込みや主張が強く、リーダーにふさわしく見えたとしても、ただ責めるだけの言葉なら誰でも言えます。実際、責められる立場で受け手となった時にどう対応できるかもリーダーには大事なのではないでしょうか。
都合の悪いことには答えず、逃げ通す市長になってしまうと想像ができるような人には期待が持てないのは当然のことだからです。しかも、自分が問い詰められると答えないで逃げ腰しの人が、自分の主張では偉そうなことばかり言っていても、個人的にはそんな市長ならば全く説得力がなく心に響かないとなります。