賛否の意見は歩調を合わせる会派
特に政党を掲げている会派では、その中で「賛否が分かれてはいけない」という規則があると聞きます。会派を組む前にそういう約束事を決めているので、守らなければ、規則を破ったものは、会派または政党を離脱したかのように見られることを覚悟しなければいけないというリスクが生じます。
だから「同じ会派内で賛否を変えるなんてとんでもないことだ!」とそれぞれの判断を一本化させなければいけないというルールがあるのだと思います。そのため本会議場では会派の人はみんな同じ結果を出すことは、当然のことのように行われてきました。
私のいる会派「あしや しみんのこえ」では、政党に所属する議員も1名いますが、政党や無所属議員との垣根を主張されなかったことや、賛否がわかれてはいけないというようなルールはありません。そのような規則をつくっていないからです。それに、会派でそんな縛りがあるなら、きっと私はどこの会派にも所属せずに、無所属会派の議員としてグループに入らずに一人で活動していたと思います。
なぜなら、同じ思想をもっている政党の前に、市議会議員として思いを託してくださっている支援者がいて、各議員によって違う方々だからです。議員個々で背負っている思いは必ずしも同じではないということです。住む環境も違えば、親しく接している人だって違います。議案によって判断も違ってくるのは当たり前のことではないでしょうか。
時にはどうしても、意見が違う自分の思いを貫きたい時だって必ずあります。それを本会議場で自分の意志を示すことができないなんて、そんなことも許してもらえない会派なんて、もし「あしや しみんのこえ」にそんな拘束があったなら、私は精神的に耐えれていなかったと思います。
同じ会派のお二人は、いつも私の思いを理解してくださり、まず私の言葉を信じて味方になってくれます。もちろん、私も誤った判断をしている時もあるかもしれません、そんな時はしっかり助言もしてくれます。
その上で、「最終的に決めるのは孝岡さんだからね。」と、賛否を同一にするということを強制的に求められたことは、これまで一度もなかったということなのです。何より「たかおか知子」に選挙で一票を託してくださった支援者の方々のことをいつも先に考えてくださっているのだと感じています。
無所属議員だからこそ意見は尊重
同じ会派だかといっても、それぞれが大切にしている熱い思いだったり、預かっている重大な責務は違うということなのです。「賛成」か「反対」という2つの大きな選択を、自分の背負っている支援者の思いのままに、どうして表明してはいけないのでしょうか。
大切なのは、議決結果が出た後です。自分の決断を支援者にきちんと説明しなければいけませんが、それを自分の判断を曲げて偽りのものには絶対したくありません。そんな風に個人の思いまで尊重してくれないような会派って、相手の考えを数や同調圧力によって抑制させることができる都合のよい規則をつくっているだけだとそう思ってしまいます。
私が「会派は何のためにあるんだろう。」と1番思う瞬間は、議決結果を見た時です。もし、それぞれが自分の感じたまま正直に賛否を投じることができるなら、芦屋市議会のこれまでの議決結果は「大きく変わっていただろうな」とそう感じています。
なので、会派に入る前に私は「賛否が分かれたい時があっても大丈夫ですか?」と確認しました。するとお二人は「もちろん、それでいいですよ。」とあっさりはじめに承諾してくれていたのです。これまで私が出してきた賛否は、全部私の判断で誰にも意見を押し付けられることはなく、責任をもって発言してきた『たかおか知子の思い』を言葉にしたものです。
もし私が、今の「あしや しみんのこえ」でなければ、きっと意見を聞いてもらえていないことが生じていてジレンマとなり、今頃は会派を続けられていなかったかもしれません。これまで私がそうならなかったのも、同会派のお二人の理解があったからだとつくづく思っています。いつも、まず私の話に耳を傾けてくれて、意見を尊重してくれていた、そんな同会派のお二人にすごく感謝をしています。
議員は、1人より2人、2人より3人と人数が多いほど知恵の数も増えていき、合意形成の基よりよい結果を導き出せていくのです。また、時にはお互いを守り合う相談ができる仲間が必要だから、そのために会派があるのではないでしょうか。会派「あしや しみんのこえ」では、自分の気持ちを押し殺すような会派規則で意見を束縛されることもなく、議員各位の責任において自分で納得して決定し行動しています。