■ 矢面に立つと標的にされるもの
他の議員が、倫理に反するかもしれないことをやっているのがわかったとします。問題提起として代表者会議で協議を求めた方が良いとわかっていたとしても、それを追及することに労力を使うことが、果たして自分にとっていいことなのか考える時があります。
新人議員の私は迷います。議会全体としての調和を乱すことになると思われている方もいるからです。
問題提起をせず、静かに見過ごすことが、議会全体としての体裁を守り、合意形成を保つということであれば、わざわざ個々の問題を掘り返し、自分が矢面に立つこともない、となるのでしょう。
「自分の印象も悪くなるよ」「仕返しをされるから気をつけて」と忠告をしてくれる方もいます。
これはどういうことかというと、足の引っ張り合いが目立つ政治の世界で矢面に立つということは、いかなる事情があったとしても、攻撃を受けることを覚悟しなければいけないということを意味しているのだと思います。
先輩の議員は、そのことをよく知っているから、矢面に立つことをあえてしないのかもしれません。疑心暗鬼になるぐらい、これまで議会内で一体どんな目にあってきた人がいるというのでしょう。
協力関係にあるひとかたまりの組織の中で「やられたらやり返す」というそんな感じで、信頼関係が生まれるのでしょうか。それに仕返しといっても、自分の行動に責任をもって真面目にやっていれば、恐れることはないはずです。
ただ、これまでの議会の中を見てきて思ったことは、真実はひとつではないということです。代表者会議という原則非公式の閉ざされた人数の中や、権力を持つ議長の采配により、その中での常識を作り出せば、白といえば黒も白になります。
結局、お仕置き的に問題を大きくすることや、大きな問題を有耶無耶にすることも、そういう力を使えばどうとでも正解をつくり出せてしまうのだと思います。
■ 指摘することは攻撃ではない
もしかしたら、間違いを指摘するということは、ただの攻撃的な態度にうつってしまい、単に議員同士が揉めているとだけしか伝わらず、余計に議会のイメージがマイナスにうつることもあるのかもしれません。でもそれでは、誰かがやらなくては何も変わらないでしょう。
私は、足の引っ張り合いをしているわけでも、したいわけでもありません。他に目を向けてやることがたくさんありますし、何もそんなことに時間をかけなくてもいいと思うからです。
だけど、過ちがあるのにそれを有耶無耶にすることは、市民の方を欺いている情報操作にすぎないと感じています。自分たちの体裁とか、議会のイメージを守る行為とはまた別の問題です。
そういう議員に限って、市長や副市長、市の職員にはとことん厳しく追及するものの、反対に誰からも指摘されない立場をいいことに、自分は過ちを認めずに誤魔化し続け許してもらえています。
「他人に厳しくするならば、同じように自分にも厳しく」そうでなければいけませんが、身勝手なことをしているのにそれを反省せず、市民の前では「自分を良くみせる。」
そんなおかしなこと、私は見逃すことができませんでした。何事も行き過ぎた行動はよくありません。
道理に反する悪意とは思っていない人の行為によって、代償を受けている相手がいます。だけど、問題提起として協議もされなければ、「言ったほう、やったほう」が、ますますその行為を繰り返すことになります。
いかなる議員であっても、そのことを議会全体として協議し、明確にするのが筋道を立てることであると信じています。
そして、市民の皆様には、私の主張や言動をしっかりと理解していただけるよう説明し続けてまいります。
■ 議長に協議事項の申し入れ
前置きが長くなりましたが、そういう訳で議会全体で協議しておかなければいけないと思う内容があり、令和3年9月13日に代表者会議での協議事項を求める申し入れを、議長に提出しました。
この事案が17日(金)に行われる代表者会議の議題にあがるよう、議長の公平で建設的な采配に期待したいと思います。










