出席者確認への問いかけと行政の奇妙な対応
もし協議の内容自体に問題がないのであれば、出席者をひた隠しにする必要もないはずです。しかし、県は出席者の氏名を10ブロック会関係者にも明かせないと主張しており、疑念は深まるばかりです。10ブロック会内部では、ブロック会長以外に2回の協議に出席した人はいないことがすでに確認されています。しかし、そのことを10ブロック会側の総意として正式に伝えても、行政側はそのことに触れようとはしません。その一方で、協議の際に県と市は10ブロック会の構成員を把握していなかったと回答しています。もしそうであるなら、10ブロック会から実際に名乗り出て協議に参加した住民と名前を照らし合わせることで、こちらが指している名前が出席者に含まれていないことを証明できるはずです。出席していないにもかかわらず「10ブロック会のメンバー」がいたとされている人たちが、実はいなかったと行政が認めれば、これまでの協議は整合性を欠くものとなります。
こうした背景から、私は2度目の質問状を提出しました。すると、県と市の反応は非常に興味深いものでした。この状況を例えるなら、10ブロック会側が協議に出席していなかったことを証明しようと名乗りを上げて「私たち、会ったことがありませんよね?」と問うと、行政側が「それはお答えできません」と、まるで意味不明で奇妙な応答を返しているようなものだったからです。
実際の文面は、県は回答しない理由として『兵庫県情報公開条例第6条第1号の趣旨を踏まえて』とし、市は『芦屋市情報公開条例第7条第1号(個人情報)の趣旨を踏まえて』と記しています。「趣旨を踏まえて」というのは、条文をストレートに適用せずに、ぼかしている表現ですし、ここでこの条例が持ち出されるのも不可解です。回答を避けるためにこの条例を持ち出せば、都合良くどのような質問にも応じない理由がつけられるのではないかと思えてしまうほどです。
分断を生んだ背景、その真意の核心に迫る
そもそも、この協議の出席者が誰だったのかについては、すでに聞き込みによって判明しています。要望書の発端となったのは、涼風町自治会の南護岸環境対策委員会(以下「委員会」)の委員だったようです。委員会は行政折衝が取り消しとなった後、ブロック会長に相談し、ブロック会長が県に対し委員たちとの協議を持ちかけたとのことでした。そして、1回目の協議では、10ブロック会内でまだ話題にも上がっていない段階で、あたかも会の合意を得たかのように話し、8月1日から釣り禁止にするための要望書を提出することが取り決められた、という状況がここまでの経緯から見えてきました。
委員会が設立された当初の目的は、釣り客の迷惑行為の対策を講じ、釣り場の開放に向けた話し合いを行うことでした。しかし、試験開放の期日を過ぎても開放が進まないことで、住民の中から、「開放のための話し合いをしたい」と新たに参加する委員も現れ、意見が二分するようになりました。これまで開放に懸念を示していた旧委員は、こうした新しい委員の意見も行政に伝える必要がありましたが、それを拒み、これまでの話し合い内容も住民には知らされていないことが明らかになりました。委員会は本来、住民の意見をまとめて町の総意を伝える窓口ですが、このような対応は自治会規約の本来の目的から逸脱しているとし、自治会本部である理事会は、行政との交渉を取り消すに至ったとの経緯でした。そして、旧委員たちは、自治会の代表としての立場を失ったことで、同時に行政に対する発言力も失ったのでしょう。そこで、新たに『潮芦屋の住環境を守る会』という任意団体をつくり、10ブロック会を看板に協働することを承認しているかのように、県に伝えていたというわけです。
県と市は、「10ブロック会のメンバー以外の特定の出席者を指名し、協議への出席を要請した事実はない」と明確に回答しています。これはつまり、実際に出席していた委員会の委員(涼風町住民)を県や市が協議に呼んだわけではないということを意味します。ではなぜ、委員の顔ぶれを把握しているはずの県と市の担当職員が、出席者の中に行政折衝が取り消しとなっている委員がいても何も思わなかったのでしょうか…。
それは、ブロック会長が「10ブロック会として」と説明していたため、職員が出席者を10ブロック会のメンバーを兼任しているものと誤認していた可能性が考えられるからです。今回の行政の対応には、意図的な過失はなかったとは思っています。業務の中で住民を疑うことはあまりなく、行政はすべての言葉をそのまま信用し受け取った結果、欺される形となったのだと、後に出てきたエビデンスや証言から現在はそのように理解しています。
ただ、意見を信じていたとしても、状況をもう少し調べることはできたはずです。わずか10%にも満たない意見を、すべての意見が揃ったかのように判断して実行に移そうとしたことは、残念でなりません。ブロック会長の意見が強く反映され、全体のバランスが見えなくなっていたのかもしれませんが、冷静に状況を見れば、何か違和感に気づけたはずです。私は、「疑ってかかれ」と言いたいわけではありません。むしろ、取り残されている意見にも耳を傾けていただき、さまざまな視点があることをもう少し意識してもらえたらと思っています。
もちろん、行政も多様な意見があることを十分理解されてはいますし、意見が増えるほど収拾がつかないために、組織の意見力を頼ることもあるかもしれません。しかし、それが結果的に分断を生み出しているだけだと考えます。納得のいく対話が必ずあるはずで、それを短期間で済ませようとすることで、かえって遺恨が残るのです。コミュニティの中で、賛成と反対という異なる意見がある場合、これらの意見をうまく組み合わせることが良い方向に進むための鍵となります。自分の思い込みだけで判断するのではなく、相反する意見に耳を傾けることで、新たな気づきが得られ、相手の考えも理解できるようになります。その結果、より正確な判断ができると信じています。相手の気持ちを理解してこそ、譲り合いの精神が生まれ、コミュニティが広がり、最終的に多くの人が納得できる解決策を見つけることができるのだと考えています。
芦屋市が市民の力に支えられてきたのは、正面から意見をぶつけ合いながら築き上げてきた信頼の上で成り立つ対話の歴史があるからではないでしょうか。
偏見報道に物申す!私の真意と立場
ある日、私が留守中に週刊誌の記者が3度も自宅に訪ねてきました。南護岸について話を聞きたいとのことでしたが、なぜ私の自宅の住所を知っているのか、疑問に感じました。通常、議員への取材は記者クラブや議会事務局を通したり、公開している電話番号に問い合わせがあるのが一般的なので、自宅にいきなり尋ねて来るのは異例で、少々物騒な気がしました。ただ、それだけに、記者がどんな目的を持っているのかを知るために、話を聞いてみることにしました。記者はすでに南護岸近くに住む「釣り禁止を望む住民」との取材を終えていて、いろいろと情報を集めてきたようでした。おそらく、その住民が記者を私の家に向かわせたのでしょう。記者に詳しい事情を伝えても、偏った情報が修正されるとは思えませんでしたが、芦屋で起こっているというのが注目が高まるというので、記事にするつもりのようでした。そして、その取材の結果がこの記事です。
👉https://news.yahoo.co.jp/articles/360a3269252639b1b2385468ed467d5e6d0abef9
ヤフーの記事を見ましたが、タイトルからして面白おかしく仕立てられていて、住民間の対立を煽るような内容でした。私のコメントも取り上げられていましたが、やはり残念ながら、私が伝えたかった思いとはかけ離れた記事に仕上がっていました(笑)。そのコメントがこちらの内容です。
- 一方で、開放賛成派の芦屋市議会議員の孝岡知子氏は「釣りをしたいからこの街に越してきた人もいる」と反論する。 「釣り人たちの意見が無視されているのは問題です。以前に比べるとゴミは減っている。釣り人がデッキブラシで掃除して帰っているのです。南護岸での釣りを全面的に禁止するのは乱暴ではないでしょうか。今回の住民同士の対立は、芦屋の歴史を汚す出来事だと思います
さて、教えていただきたいのですが、私はいつから「開放賛成派」なのでしょうか。そもそも釣りをしたこともなく、自ら賛成派も反対派も名乗ったこともありません。それに、地元を分断するような「反対派」「賛成派」などといった呼称でわけるのは、もともと好ましく思っていませんでした。反対派とされる方々は「釣りを開放したくない」という結論を前提に話を進めているようですが、私にとって結論とは話し合いの中から導かれるもので、最初から決めつけるものではありません。ただし、姑息なプロセスは見過ごせませんし、行政の対応が公平な判断に反すると感じた際には、無視されがちな意見に注力したいと考えています。また、迷惑行為の問題についても、「釣り禁止」が唯一の解決策ではないと繰り返し述べてきました。しかしながら、どうやら私を「開放賛成派」として印象づけたい人たちがマスコミを使って動いていたようです。
メディアは所詮、対立を煽り、人々の興味を引くことができれば目的を果たしたとみなされるため、事実に基づいた報道を期待するのは難しいのかもしれません。これまで議会や役所の内部事情を知る立場から、関連する記事を見てきましたが、その多くは事実が歪んで報じられていると感じることが多々ありました。時には、こうしたメディアの性質を意図的に利用する人もいるのではないかと思います。あえて申し上げますが、南護岸等の件に関して、何かにつけて議員である私の名前を絡めて話題にするのは、そろそろ控えていただきたいですね。ここまでくると、私に対して個人的な恨みがあるかのように感じている方もいるようです。
もちろん、たとえどんな圧力がかかったとしても、調査が必要なことであれば、私は決して足を止めません。むしろ、そのような状況こそ、さらに意欲が湧いてきます。ごまかしが入ると言うことは、隠したいことがあるということで、そのことがかえって原因究明に近づく手がかりを増やしているのです。
No.10 兵庫県が決定した南芦屋浜南護岸等の『釣り禁止』の裏に隠された驚きの真相!につづく・・・『肩書きに頼った行政の判断がもたらす民意の危うさ』