選挙で見えたネットの怖さ
兵庫県知事選挙が大きく注目を集めています。私はこれまで県知事選挙で特定の候補者を公に応援したり、自分の意見を表明することはしてきませんでした。しかし、今回は違います。県政の混乱が原因で知事が失職し、それによる選挙だからこそ、次の知事に希望を託したいと思っていました。そして、再出馬した元知事ではなく、新たな知事に期待したいと考えていた矢先、以前から元市長として慕っていた方が、一度、政治家を離れ復帰を決意し、立候補されました。その知らせに、私は一層の期待を抱き嬉しく感じました。
それでも初めは応援を控えめにするつもりでした。ここまで表立って応援することは、今までの私にはなかったことです。しかし、選挙が進むにつれ、ある恐怖を感じるようになりました。他の候補者を支援するために立候補した人物が現れたり、その影響を受けた支持者たちがSNSでデマや誹謗中傷を広めたことで、誠実にやってきた候補者の経歴や実績、人柄までもがどんどん傷つけられていくようだったからです。こんなにも誰かを必死で応援したいという気持ちになったのは初めてのことです。
ネットに触れる機会の多い若者や、井戸端会議で耳打ちのように広まっていく噂話、日頃から付き合いのあるママ友のネットワークが、LINEグループを通じて集団勧誘のような動き見られるようになりました。集団意識というものは、その輪から外れることへの恐怖が、自然とその関係性を守ろうとする心理を生み出します。特に、普段から横のつながりを重視する女性に、この傾向が強く見られるようです。元知事に関する明らかに虚偽の情報だったとしても、「可哀想説」がどんどん広がっていきます。これまでの議会や資料を確認すれば事実は明白ですが、その事実さえも捏造された陰謀論によって歪められ、飛び交っているのです。
県議会議員86人全員が全会一致で斉藤元彦元知事の不信任案を可決し、結果として失職に至りました。しかし、元知事を「可哀想だ」という人々の解釈からすると、「悲劇のヒーローが進めようとしていた改革を阻止したい県議が、都合の悪いことを隠蔽するため、陰謀を企てた」と主張する声もあります。もしそれが事実だとすれば、県民に選ばれた県議全員がそのような行為を働く人物だということになり、結果として彼らを選んだ私たち自身も信用されていないことになります。本当に全員がそんなことをすると思うでしょうか?
選挙が折り返し地点になると、各市町の首長までもが、斉藤候補の追い上げに驚きを隠せない状況となりました。この追い上げの背景には、先頭を走っていた稲村候補に対するデマによる酷いレッテルがありました。それらの誤解はネット上で拡散され、信じた若者たちを中心に、人を揶揄したり、ネットリンチのような行為を平気で行う嫌がらせのコメントが溢れかえっていました。
神戸市長の静観が意味する知事選の行方
斎藤元彦知事が失職し、出直し知事選に立候補すると表明した会見を受け、いち早く記者の質問に反応を示したのは、神戸市の久元喜造市長でした。
久元市長といえば、以前、「X」(旧ツイッター)といわれるSNSを活用し、市政の情報を伝えることで市民との交流を図ろうと積極的に取り組まれていました。しかし、約2、3年前、久元市長はXでネガティブキャンペーンの投稿を多数受けたことを公に発表され、それ以来SNSの利用をやめておられます。そのため、ネットでの誹謗中傷や「ネット処刑」の怖さを知っているからこそ、日に日に加速する選挙のSNS上の荒れように対して、ご自身の発信や立場を示すことなく、静観されていたということも考えられます。
ただ、令和6年9月の議会での答弁で、久元市長はこれまでの兵庫県(斉藤元知事)との対話がうまくいっていなかった状況を切実に説明し、連携の難しさについて問題意識を述べられていました。
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兵庫の城を再び輝かせる姫と3人のナイト
神戸市長の不安と同じような状況が、他の市でも起こっていたようです。選挙が始まると、西宮市、尼崎市、川西市の3人の市長は、以前から斉藤元知事のもとで施策に関わる中で感じていた「やりづらさ」を、県職員と同様に抱えていたことが明らかになりました。そして、新たな知事としてふさわしいと思う人物に目を向け、これまでの人柄と実力を評価した一人の女性候補を後押しする決断をしたようです。それが、尼崎市で3期12年市長を務められた「稲村和美(いなむら かずみ)」さんでした。そして、その思いに答え、稲村さんは立候補を果たしました。選挙が始まる前の集いで、稲村さんが皆さんに語りかけた言葉が、今も心に残っています。
「私を1人にしませんよね?」そう笑顔で問いかけていた姿が印象的でした。
そして、その言葉を返すかのように、街頭演説では川西市の越田市長の言葉が響きました。「稲村さんだけに戦わせるんじゃなくて」という、その言葉に込められた思いが、「一人ではない」という皆の心と繋がっていくように感じました。
しかし、これと逆行して、事態は誰もが想像していなかったことへと、どんどん進んでいくのでした。これまで以上にすさまじく嘘が飛び交う状況、そして街頭演説では、恐ろしい怒鳴り声と乱闘。まさかここまで激しい選挙になるとは、誰もが予想していなかったのではないでしょうか。斉藤候補の街頭演説では、元知事に対する批判のプラカードを持つ人の姿が見られました。斉藤候補に対するアンチ(反斉藤派)の人たちが、必ずしも稲村候補の応援団というわけではありません。むしろ、人手が足りない中で選挙活動を行っている稲村陣営には、対立候補につきまとうようなボランティアは一人もいないのが現実です。それにもかかわらず、いつの間にかその構図は「斉藤援護派vs稲村援護派」という過激な対立関係として語られるようになっていました。
もちろん、選挙が始まってからも、西宮、尼崎、川西の3人の市長は、稲村候補を側で支え続けていました。このように、市長がここまで表立って一人の候補者を応援するのは極めて異例のことです。日が経つにつれ、想像を超える過酷な状況に直面し、矢面に立たされている稲村さんの姿に心を痛めた3人の市長は、さらに応援に熱を込めるようになっていきます。その姿はまるで、姫を守る3人のナイトのようにも見えました。兵庫県という城を立て直したいという純粋な思いから始まったこの立候補ですが、その姫が日に日に汚されていく様子を目の当たりにし、いたたまれなくなったのだと思います。私自身も、この状況が悔しく、辛い思いを抱いていました。
無所属で挑む候補者と煽られる対立構図
稲村さんは県議を2期務めていた時から「無所属」で、組織に頼らず会派にも所属せずこれまで一人の議員として活動することを、特に大切されてきた人です。市長時代でもその意思を継続されていました。そんなご本人に対して、稲村さんの周りに自然と集まってきた、応援者の市長、県議、市議のことを、「既得権益の側についた」「組織票だ」と、レッテルを貼る声がまた上がりました。さらに、神戸市の自民党市議団が3人目の候補者である清水氏を応援すると表明すると、稲村候補は「左派」だと一方的に決めつけるような言葉がネット上に飛びかいました。
どこの政党からも公認や推薦を受けていません。完全に無所属として立候補している候補者です。多分、拡散している心ない人たちは、批判することを正当化して、「組織票じゃない」とわかっていてわざと噂を広めていいるのだと思います。
あとからあとから、稲村さんに対する悪い噂の切り取り動画やネット情報が吹き込まれ、特に若者を中心に広がっていきました。あるときは、「元知事に弱みを握られている県職員や県議が、再選によって不利なことを暴露されるのを恐れて、その改革を邪魔している」という話が流れたり。とにかく元知事が「正義の味方のヒーロー」として描かれ、もはや事実があっても都合の良いように解釈され、対立候補が「悪役」として位置付けられる構図が作られていったのです。
そして、稲村候補が「県職員との対話と信頼を築く」と語ると、いつの間にか県庁建て替えの話題が持ち出され、県民のほうを見ていないと言いだし、「県職員vs県民」という対立図を煽る現象も起こりました。このように、兵庫県知事選挙に関する情報は、無責任にデマを流す人々によってネット上にあふれかえっていました。
しかし、政治とは対立を生むものではなく、輪を作り、みんなで築き上げていくものではないでしょうか。たとえ意見が異なっても、同じ方向にベクトルを向ける努力をすることこそが、リーダーに求められる役割だと私は思います。今回の稲村候補と斉藤候補の選挙戦は、やたらと対立図を持ち出し「県職員vs兵庫県民」や「組織票vs無所属」といった構図が意図的に作られ、元知事に好意的な印象を与えるための情報操作が行われていました。その結果、県民の間に分断が生まれ、元知事を有利にするための煽動に兵庫県民が巻き込まれているように感じてなりません。
私が最も懸念したのは、「若者vs老人」という税金を巡る対立の構図まで若者に信じ込ませていたことです。本来、行政運営において、税金とは助け合いの中で使い道が決められるものであり、世代間対立を煽るのは本来の政治の在り方ではありません。確かに、歴史を振り返れば、選挙と直結した政治家は、選挙に行く有権者ばかりを意識した施策を行っていたことが多かったのかもしれません。その意味で、投票率が少ない若者の政治参加が進むことは、バランスの取れた施策を行う上で重要な課題です。しかし、このような「だまし討ち」のような形で若者の票を狙い、県政のリーダーになろうとする人がいるとすれば、それは政治参加を促すものではなく、もはや洗脳と呼ぶものに近い気がします。
今や、この選挙中に「組織票がなく、一人で戦っている可哀想な悲劇のヒーロー」として崇められる元知事を「助けなければ」という気持ちから、県民が稲村候補を蔑み、斉藤候補を応援する流れができているように見えます。だけど、実際にそうでしょうか。一人で戦い、覚悟を持って挑んでいたのは稲村候補も同じです。選挙の裏側に大きな組織が噂される斉藤候補とは対照的に、稲村候補は政党の支持基盤に頼らず、県民を信じて覚悟を持っていたからこそ、初めに「一人にしないですよね」と告げたのではないでしょうか。
兵庫県市長会有志が稲村和美さんを支持することを発表
密かに稲村さんを応援していた人たちが、このような状況に危機感を抱くのも当然のことです。そしてついに、3人の市長だけでなく、兵庫県市長会有志が兵庫県知事選挙において、稲村和美さんを支持することを発表しました。21名(その後、宝塚市長の山崎晴恵氏が加わり、正式には22名)が支持を表明するという、極めて異例の出来事でした。同じ志を持つ仲間が次々と集結したのです。
書面の中に、飾らない言葉によって、稲村さんを応援する気持ちが素直に表れていました。
「明るく元気でしっかり者、弱きを助け、市民・県民に寄り添う稲村和美さんであると考えます。」「純粋でひたむきな兵庫県を思う気持ちにあふれています。」
ただの支持表明であれば、ここまで人柄について触れる必要はないように思います。でも、それをあえて書き込んでいるのです。この言葉から伝わってくるのは、稲村さんがいかに多くの人々に慕われ、信頼されてきたかということを伝えたい気持ちのようにも感じられました。
さてやっぱり、これを知った世間では、名前を連ねていなかった7名の市長に注目が集まるようになりました。「稲村さんを支持しないということは、対立候補である元知事を応援しているのではないか」と考える人が多いようです。特に阪神間の神戸市、明石市、そして私たちの芦屋市。この3市の市長の動きが注目されるのも無理はありません。
神戸市長に関しては、前述のように、元知事の再選を望んでいるとは言い難い状況がうかがえます。兵庫県との連携に関する議会での発言には悲痛な叫びがあり、また、出直し知事選挙に立候補した元知事に対して「信じられない」という発言も記事に残されています。これらから推測するに、稲村候補の応援を表明しなかったことが即座に斉藤候補を支持しているという意思表示だとは思えません。むしろ、選挙の追い風に逆らうことで、ネットや世間からの批判を懸念しての判断ではないかと考えています。
では、芦屋市の高島市長ですが、その若さもあって、多くの方がその動向に注目するのも理解できます。ただし、高島市長はまだ一期目で、就任からわずか1年半しか経っていません。そのため、他の市長たちのように兵庫県との連携における影響を直接肌で感じる機会は少なかったようにも思います。
市長に代わり、長年兵庫県との連携を続けてきた市職員たちの方が、働きづらさを感じていた可能性はあります。ただ、首長のように知事と直接対話する立場ではないため、もしトップによる独裁的な施策が行われていたとしても、それが兵庫県全体を知事一人の権限で動かしているという実態には、気づきにくかったのではないでしょうか。一番身近にそれを実感できたのは、直接話す機会をもてた、やはり自治体の首長たちだったと思われます。
一方で、高島市長と稲村候補は、全く面識がなかったわけではありません。令和6年4月、ライオンズクラブ国際協会主催のイベントでお二人はお会いされています。このイベントでは、高島市長と当時安芸高田市長だった石丸伸二氏の対談が行われ、稲村さんが司会を務められました。この縁でお二人は直接『対話』を交わす機会を持たれたようです。また、稲村さんが3期12年にわたって尼崎市長を務めた実績とその信頼性から、パネリストの司会に適任だとされ、3人による対談が実現したと関係者から聞いています。
明石市の丸谷市長については、個人的に先の衆議院選挙での、市長と動きが予想とは違っていたので、今回のことも私は何も情報を持っていないのでわかりません。明石市の丸谷市長については、私自身、正確な情報を持ち合わせていないため判断が難しい状況です。ただ、先の衆議院選挙における市長の動きが個人的な予想とは異なっていたこともあり、今回の件については私の述べるところのお話ではありません。
無責任なデマに振り回されない県民の選択
さて、明日の投票日を前に、こんな声をよく耳にします。「誰に入れたらいいかわからない」けど「斉藤さんが可哀想だから入れてと言われた。」という話です。これを聞いたある人は、「どうして可哀想なの?」と聞き返すと、「わからんけど、みんなが言ってるから」という答えが返ってきたというのです。
よく知らない話しを鵜呑みにして、こんな理由で兵庫県の未来を左右する一票を決めてしまうのは、本当にそれでいいんでしょうか。もちろん、誰に投票するかは個人の自由です。しかし、投票するのであれば、せめて、候補者の考えを見てみた上で自分の判断で考えてほしいと切に願います。耳にした話や周囲の声が必ずしも事実であるとは限りません。
ここからは個人の感想です。私は、この選挙によって兵庫県民の分断を生み出した原因を放置することができませんでした。これは誰のせいでもないわけではなく、明らかに原因が存在します。この現象の発端は、これは、パワハラの疑いで失職した一人の知事が再出馬したことで巻き起こったものであり、変わることのない事実です。このような県民を分断するような構図が生まれたのは、自身の過失について一切謝罪することなく、無言の姿勢が美徳として崇められた一人の候補者によるまやかしが影響していると感じています。その影響力の恐ろしさを痛感しています。
しかしながら、今回の選挙において、私は初めから市民の方々に直接投票を促すような行動を取るつもりはありませんでした。実際にもそのような行動はとっていません。SNSを通じて、自分が稲村さんを応援していることは伝えていますが、口頭やハガキで投票を求めるような行為はあえて避けてきました。それは、私の情報発信を見た方が、自分自身の判断で意思を決めることであり、私がお願いをして無理矢理に意識を変えるものではないと考えているからです。わかってくれたら嬉しい、私と同じ気持ちになってくれたらなお喜びたい、そう信じたい気持ちでいたからです。聞かれた時にしか自分から話題にしないようにしていました。これが私の市議としての今回の立ち位置です。
選挙の本来の姿を取り戻すために…
「X」でこんな投稿を見ました。
「素朴な疑問ですが、元知事が仮に当選した場合、県議会では元知事の疑惑を巡って百条委員会は再開しますよね。その場合、全会一致で不信任案を出したのだから、元知事とは全面対立しますね。仮に元知事が議会の解散を宣言したら、また選挙をしますね。その前に住民からリコール運動も起きるはずですよね。それが条件を満たした場合も、また選挙になりますよね。そのたびに毎回、税金が使われますよね。いったい兵庫県はいつになったら県政が正常に機能するのですか?」
この言葉に、私もハッとさせられました。
誰を信じ、誰を応援するかは個人の自由であり、それを他人に否定されたり批判されたりするものではありません。同じ人を応援していないからと言って気が合わないわけでも、応援する人のライバルが悪い人だというわけでもありません。もし、選挙応援していることで傷つき、疲れ切ってしまった人がいたら、今回のことで、選挙を恐怖として感じたままで終わらせてほしくありません。
本来、私が知るところの選挙って、もっと前向きで、未来への希望を共有する場でした。候補者の想いや政策を聞き、自分たちの暮らしをより良くするための選択をする機会であり、人と人とが出会い、交流を通じてつながる場でもありました。
もちろん、選挙は確かに戦いの場でもありますが、それと同時に人との絆を深める場でもあると私は思います。清く、正しく、明るい気持ちで同じ目標を目指し、和気藹々とした雰囲気の中で楽しい気持ちになれる陣営だってあるのです。だからこそ、こんなことで選挙の本来の印象を変えられたくはありません。選挙は人を傷つけ合いながら、蹴落とし合う場ではなく、未来を選び取るチーム戦なのです。
既に県民の間に分断が生じてしまった以上、この状況をこれ以上悪化させることなく、すべての兵庫県民が穏やかな日々を過ごせることを心から願っています。
👉動画『兵庫県知事選挙の投票日前だから先に伝えておきたい選挙の意義⁉』