私が政治の道に踏み出した忘れられない日
実はこの頃、私は芦屋市の市議選に立候補するかどうかを迷っている時期でした。しかし、選挙のお手伝いをするきっかけをくださったのは、当時市議だった芦屋市の伊藤舞市長でした。「選挙ができるか自信がないなら、一度、どんなものか間近で見てみたらどう?」と、一緒に私を連れ出してくれたのです。その日が私の決断の決め手となりました。勇気を与えてくださったあの日、私は「私もチャレンジしよう!」と決意したのです。2018年11月14日のことでした。
また、私が想像していた政治家の選挙事務所とは異なり、そこはアットホームな雰囲気の古民家で、仲間の方々と和気藹々としたチームワークが感じられ、手作りで温かみのある雰囲気にとても魅力を感じました。「自分なりの選挙をすればいいんだ、私もやってみよう。」という気がしたのです。この時、私は無所属で出ることの大切さと、自分のシンボルカラーとして稲村さんと同じオレンジを選びました。私が今、議員としてここにいるのも、伊藤市長が声をかけてくださったこと、そして政治家としての発信力を見せてくださった稲村さんの姿があったからこそです。お二人には心から感謝しています。本当にありがとうございました。
写真は、選挙カーに候補者とご一緒させていただいた時に撮影したものです。私にとって、忘れられない日となりました。
泉市長の言葉に学び、芦屋市での変革を目指したい
明石市の泉房穂市長は、「政治は誰がやっても同じじゃないんです!」とよくおっしゃっています。議員を経験する中で、その意味を痛感する場面が私にも何度もありました。「審議する人が変わらなければ、議決結果は変わらない。」 「議決結果が変わらなければ、社会も変わらない。」そして、「人が変わらなければ、政治は変わらない。」 つまり、「議員の『姿勢』が変わらなければ、芦屋『市政』も変わらない。」
まさにそんな感じです。私にとって『議員の信念』というものを信じるために、最後に残された期待感を持って臨んだ議案がありましたが、結果はまたしても何も変わらなかったという、現実を突きつけられました。議決は賛成9名、反対10名で『否決』というお決まりの数でした。意見をぶつけ合えるのは、信頼があるからこそできることだと思っています。議論なしに本質を語ることはできず、結論ありきの議論では意味がありません。猿山のボスに従う猿とは違い、私たちは言葉を話せる『人』です。ましてや議員、一人一人が良識ある考えで自らの信念を述べるべき市民の代表です。過去に誤った判断があったとしても、それを認めて正す姿勢こそが重要だと考えています。保身のために誤りを認めず、意地を張り続けるほうが、むしろ責められるべきではないでしょうか。
人が政治を変える、2人の市長から学んだ実行力
政策の実現にむけて、特に注目するようになっていたのは明石市と尼崎市でした。阪神間でこの二つの市には、芦屋市にはない取り組みの魅力があり、視察にも行かせていただきました。両市の素晴らしさを語る泉房穂市長や稲村和美市長のお話を伺う中で、政治は人によって変わるものだと実感しました。お二人のお話を伺っているだけで、うまく噛み合わなかった芦屋市政に対するモヤモヤが、自然と晴れていくような気持ちになりました。国会議員ではなく、地方自治の首長の言葉こそが本物で変える力があり、信頼できると感じました。そこから力をいただいているように思えたのです。
人の言葉は、ただ言葉が人を変えるのではなく、その人の気持ちや思いが自然と伝わってこそ、心に響くものだと私は確信しています。私自身、目指す社会の考え方に共感する部分が多かったのもありますが、それ以上に実行力で結果を導いていくお二人の姿勢に深く尊敬の念を抱いていました。
お二人が共通しておっしゃっていたのは、
- 政治家はやはり『人柄』が大事
- 地方には地方だからできる政治がある
- 国の政党政治を地方議会に持ち込むのはおかしい
新人議員としての最後のブログ投稿となるNo.100を迎え、今期の議会の人間関係を一言で表すならば、正直『本当に酷かった』という言葉が浮かびます。しかし、この逆境から多くを学びました。この経験を糧に、今後どのような困難が議会で待ち受けていようとも、しっかりと立ち向かう覚悟ができました。そして、この経験を飛躍の一歩とし、私が描く協力し合う理想の議会を目指して、新たな二期目への挑戦に向け、今度こそ良い芦屋市議会にしていきたいです!